前に、日本と日本人を救った秀吉の記事について書きました↓
私は今、動物性食品を極力摂らない生活
(詳しくは↓)
をしていますが、下記の話を知って日本人にとって肉食とは何なのか考えてしまいました

秀吉が九州遠征をした時のことです。
秀吉は、付いてきたイエズス会の宣教師ガスパール・コエリョ(日本布教の最高責任者)を呼びつけて、
・なぜ日本人にキリスト教を広めるのか?
・なぜ神社仏閣を破壊するのか? (破壊してたの!?と
ビックリ)

・なぜ日本人を売買するのか
などの詰問をしたといいます。
そして、加えてもう1つ秀吉は、
・牛馬は日本人にとって有益な動物であるにもかかわらず、なぜこれを殺して食べるのか?
と、コエリョ宣教師に問いただしたといいます。
わずか4つのこの重要な詰問の中にわざわざ入れるほどですから、よほど許せない出来事だったのでしょう。
そもそも、明治維新以前の日本人は1200年間も動物をほとんど食べず、肉食を「禁忌」として「命」というものに対して畏敬の念を持っていたそうです。
食べる時は、猪は「牡丹」、馬は「桜」などと言って罪悪感を弱めるなどの工夫をして、慎ましく遠慮がちに食べていたといいます。
なので、戦国時代に外国から宣教師が入り込んで来て、彼らが牛馬を生きたまま皮を剥ぎ、手掴みでその肉を貪り喰う様子を見て日本人は絶句したそうです。(『九州御動座記』より)
秀吉にその事について詰問された宣教師はキョトン顔…
なんで牛馬を食べちゃいけないの?(・_・)
昔、日本人は「畜生道の極み」と牛馬を貪り食べていた宣教師たちの姿を眉をひそめて眺めていたのにもかかわらず、いつの間にか何の抵抗もなく欧米にならい、牛馬などの動物たちをなんの躊躇もなく虐殺し、いつのまにか自分たちもまんまその姿になってしまっている…

恐ろしいと思いました

思えば、日本人がこんなにも精神的にも肉体的にもヘナチョコになってしまったのは欧米にならって肉食に手を染めてしまったからなのではないかな…とさえ思ってしまいます



現に、こんな話があります。
エルヴィン・ベルツ(1849~1913)というドイツ人医学者が日光観光
に出掛けました。

一度目は馬を六頭




乗りついで行きましたが、二度目はなんとたった一人の車夫
が往復をしてベルツを連れて行ったそうです。







ベルツは、その強靭な体力に驚き、いったい何を食べているのかと食べているものを見てみると「玄米と漬物」しか食べていないことにまたまた驚き
、

「ドイツ人
のように肉食にしたらもっとすごい体力になるのでは?」

と、考えたそうです。
そして、車夫に毎日肉を食べさせる実験をしましたが、車夫はすぐにヘロヘロになって、以前の「玄米と漬物」の食生活に戻して欲しいと懇願したそうです。
↓このブログから書かせて頂きました

当時、この車夫が特別だったわけではなく、日本人は女性でさえ米3俵を担ぐ(この言葉自体死語になりつつある…
)のは普通のことだったというくらい、今では考えられないほど日本人の体力は強靭だったそうです


なので、訪れた外国人もすっかり恐れをなして侵略する気が失せたのではないかとさえ言われています。
肉食をする以前と以後の日本人では全くの別民族のような変わりようです。
日本人は動物を慈しみ「友」や「家族」としていて、精神的にも肉体的にも世界最強の民族を誇っていたのに、欧米の肉食文化を何も考えずに"だだ受け入れ"して1200年間も守ってきた禁忌を犯してしまったばっかりに、こんなにも体たらくな民族と化してしまったように思えてなりません









先ほどのベルツ先生は、実験の結果を受けて、「日本人には肉食は止めるべきだ」と日本政府に進言しましたが受け入れられず、肉食推進計画は進められました。
欧米列強に肩を並べるために始めた「肉食」だったはずなのに、逆に大きく劣化させてしまったのだとしたら、何とも皮肉なことだなぁ、と思いました
