↑こういうタイトルの書籍を最近よく本屋さんで見かけるようになりました。

私が、今もってわからないのが、この、
「神様に愛される人」
です。

どういう人が神様に愛されるのでしょうか?
 
まったくわかりません。

私が、
「この人、神様に愛されてるな~」と
感じる人たちは大抵本屋さんに並んでいる「神様に愛される人」という書籍の内容からかけ離れています。

なのにとても恵まれている。
(恵まれて幸せという基準で「神様から愛されている人」とするのなら、の話ですが…)

例えば、うちの母親です。
本当に性格が悪く、意地悪で、サイコパスのくせに苦労という苦労をしたことがありません。

戦争中は日本中が食糧難の中、いつもおやつに羊羹を頬張っていたそうです。
町中がちやほやし、学校へ行くと級友がみんなで母親の机を拭いていたそうです。
そして、人も羨む結婚をし、私のような女中の子どもを都合良く得て、常に家事はせず、女王様のように暮らしています。

それなのに、クリスチャンである母親はなぜか大勢の人をキリスト教へ導き、牧師も出来ないほど信じられない数の人をクリスチャンにしました。
伝道に特に苦労はしていません。
「聖書でも読んだら?」くらいな感じです。
皆、魔法にかかったように入信してしまいます。
これもサイコパスのなせるわざなのでしょうか…😓

神様に愛されるには…と真面目に一生懸命苦労している私を嘲笑うかのようです。

うちの旦那もクリスチャンとは言いながら、誰とでもどんな話でも通じ合ってしまうリベラルさで、何も考えずに簡単に踏み絵も踏んじゃいそうな人です。
真面目なクリスチャンから見ると携挙(終わりの日にクリスチャンだけ天国に挙げられて艱難辛苦を免れるというもの😓)の折りには絶対置いてけぼりを食いそうな雰囲気を醸していますが、以前ブログで書かせて頂いた、名前と生年月日を見ただけで大抵のことを見通してしまうSさんからなぜか、
「この人はすごい!この人は神の人だ。この人に敵対する人は悪魔側の人ですね。」
と、言われて調子に乗っています。

また、私は好きでよくお寺や神社に参拝に行きますが、旦那は、
「俺はお前と違ってクリスチャンだから天国行くので参拝しません。」とか言って拝みません。(キリスト教ではキリスト教以外の神様を拝むことはご法度中のご法度でソッコー地獄行きです。(^_^;))
なのに、なぜか「おみくじ」だけギャンブル感覚でやります。
こんな失礼で不信心な男にも関わらず、神様はなぜか必ず旦那に「大吉」を進呈します。
私は大抵「小吉」です。(-_-;)
「わーい!  俺、究極的には神様は何でもいいと思っちゃう。( ≧∀≦)ノ♪」と喜んでます。
真面目に信心してる私が「小吉」で、ご挨拶もしないこのふざけた男がなぜ「大吉」なんですか?(。>д<)

神様を恨みたくなります。

でも、「闇金ウシジマくん」でウシジマくんが「そんなテメェの小さい物差しで俺を計るんじゃねえ」と言っていましたが、神様にもそう言われている気がしました。

「神様に愛される人」がどんな人かなんて人間ごときが計れるものではないのかもしれませんね…😓