前回の記事で書いた「パラノイア気質」も手に終えない恐ろしい人たちなのですが、もっと恐ろしい人たちは私たちの身の回りに100人に1人はいるとと言われている「サイコパス」だなぁとこの本を読んで思いました。

 

 

この本によると、「サイコパス」には
「捕まるサイコパス」
「捕まらないサイコパス」の二種類あるそうです。

「捕まるサイコパス」とは最後まで「殺っちゃう」人たちなので捕まるのですが、大抵のサイコパスは頭がよく、犯罪ギリギリでやめちゃうので「捕まらない」んだそうです。

本当にタチが悪いのは、
「捕まらないサイコパス」
だそうで、研究者は研究対象として、あの手この手を使ってこの「捕まらないサイコパス」を引っ張りだそうとしていますが、中々上手くいかないそうです。

これを読みながら、
「私を使えば簡単なのに…」と思ってしまいました。

私は、「サイコパス」のハエ取り紙のような人間で、ドンドン、サイコパスを引き寄せてしまう性質があります(-_-;)

昔から、私はなぜか周りの人に「どうしてあんな人と付き合うの?」と言われるような酷い性格の人と仲良くなってしまいます。

そして、案の定、必ず酷い目に逢いボロボロになって関係を立ち切るというのをひたすら繰り返してきました。

この本を読んで初めてわかったのですが、今まで付き合った酷い友達はすべて「サイコパス」でした。


その主な性質は…

息を吐くように嘘をつき、

罪悪感は一ミリも持たず、

相手の感情に何一つ共感せず、

相手の人格を徹底的に否定し、正しいのは自分だけと思わせ操り支配しようとする。

人間関係は常に自分を扇の要の位置に置き、他の人同士が自分を通さず仲良くなるのを極端に嫌がり、もし仲良くしていたら嘘をついてでも壊しにかかる。

人が傷つく姿を見るのが何よりご馳走だが、傷つける相手は何も言い返して来ない人を慎重に選び、自分が責められない方法で傷つけるのが上手。

そして、傷つける相手の限界点を一瞬で判断する能力がズバ抜けている。
生かさず殺さず、死の一歩手前でやめる。
(ここが、「捕まらないサイコパス」の真骨頂。)

でも、人間的には個性的でとても魅力があり人を引きつける。

お人好しで情にもろく、世話好きで暖かい人と周りに思わせようとし、本人も自分はそういう人だと信じて疑わない。

私は、何か人に言われると固まってしまって言い返すことができない性格なので、サイコパスの格好のエサになってしまいます。

そして、更に悪いことに若いときからカウンセリングを学び、相手の話を批評も批判もしないで「うん、うん、わかる。なるほどね~」と言って丸ごと受け入れる「カウンセリング聞き」というのが身体に染み付いてしまっているため、自分を神とする世界を構築したいサイコパスにとっては最高に心地のいい聞き役となってしまうのです。

何年か前にもこのサイコパスに酷い目に逢いました。

近所のママ友でしたが(この本にもボスママにはサイコパスが多いと書いてありました。)、この本のお陰で目が覚め、関係を立ち切ることができました。

でも、サイコパスだけが悪いのではなく、ハエ取り紙になる私にも非常に問題があったことをこの本を通して気づかされました。

実際はサイコパスが私に寄ってくるよりも、私がサイコパスに引き寄せられてしまう方が強かったのです。

なぜ、そんなことになったのか…

歴代のサイコパス友達を遡って考えていくと最後はなんと「母親」に行き着いたのです。

母親は、この歴代のサイコパス友達に瓜二つでした。

思いやりがなく、常に自分中心で、共感性がなく、信じられない位冷たい…

優しくていい人もいたはずなのに、なぜか友達になるのはこういう人ばかりだったのは、生まれた時から母親との関係しか知らないため人間関係とはこういうものなのだと思って育ち、それ以外の関係は居心地が悪くて安心しなかったせいなのかもしれません。

「気づく」というのは本当にすごいことだと思いました。

今は、ようやく学習して怖くてそういう人に近づこうとも思いません。

良かったです。