今から25年位前の話ですが、夢中で追っかけをしていた方がいました。
精神分析者の「木田恵子先生」です。
先生は、日本人で唯一フロイトに直に指導を受けた古澤平作先生(日本精神分析学会初代会長)に師事し、フロイトの孫弟子にあたる方です。
先生は、クレッチマー(ドイツの精神科医)の二大気質論(人は必ず分裂気質と躁鬱気質のどちらかの性質に分類されるという理論。今なら統合失調症気質と双極性障害気質といったところでしょうか…💧
どんな人でも大なり小なりどちらかの気質を持っているのだというのは、精神疾患をどこか他人事のように捉えていた私には衝撃的な理論でした…。)を論ずるにあたり、この2つの気質にどうしても当てはまらない人たちがいて、その人たちの気質を「パラノイア気質」という第三の気質として画期的な提唱をしました。
更に、「分裂、パラノイア、躁鬱」気質は、
「0歳児、1歳児、2歳児」時代の性質にそのまま当てはまり、
「欠損と過多(~してもらえなかった、~されすぎた、など)により固着(心残り)が生まれ、その固着のために精神的成長は以降止まってしまう」
という先生の理論から、
「0歳児」に欠損と過多により何かしら固着ができると精神的成長はそこで止まってしまい「分裂気質」になり、
「1歳児」で固着があると「パラノイア気質」に、
「2歳児」では「躁鬱気質」となるという独特の考えをお持ちの方でした。
(分かりづらい書き方ですみません(ノД`)…)
なので、私が子育てをする時に気を付けたのはとにかく「固着」を残さないようにと心がけることでした。
詳しくはぜひ先生の著書をお読み頂きたいのですが、とにかく面白いです。
中でも、特に面白いのが上記の本で、受け身で誰にも迷惑を掛けず、ひっそりと生きる「分裂気質」の先生が散々悩まされてきた「パラノイア気質」のクライアントがいっぱい紹介されていて、誰の周りでも一人や二人は必ずいて困らされた経験を持っているはずの「パラノイア気質」の人たちの「適切」な取り扱い方が「怨み」をこめて!?綴ってあります。
私は、この恐ろしい「パラノイア気質」なのでこの本を読むと猛省のしきりです。
先生は、実際お会いすると本当に「怖い」方で、その言葉は鋭い刃のように人の心を静かにぶった切ります。
先生の前では、取り繕った善意や建前で凝り固まった正論は通用しません。
バッタバッタと切りつけ、本人も気がつかない無意識の心闇を言い当てられ立ち直れなくなります。
(私は常に気配を消していたので免れましたが…)
そのため、多くのお弟子さんが先生の元を去りましたが、先生はそんなことは一向に気にしません。
その「ぶった切り」は、今にして思えば、誰ともなるべく接点を持たず、ひっそりと生きたいと願っている「分裂気質」の先生が、デリカシーなく土足で自分のテリトリーを侵してくる「パラノイア気質」や「躁鬱気質」の輩に対抗する唯一の抵抗策だったような気がします。
こんなこと聞いたことない方にとってはなんのこっちゃだと思いますが、本当に面白いのでぜひ機会があればお読み頂けたらと思います。
特に、自分の価値観を押し付けてきて有無を言わさず支配しようとする人の被害に常に逢っている「分裂気質」の方には、先生の「ぶった切り」は爽快で小気味良く感じることだと思います(^_^;)
そんな先生のよく言われてた口ぐせが
「人なんてわからんもんですよ。」
でした。
精神分析の臨床経験も豊富で、先生ほど人間の心を知り尽くした方がこんなことをおっしゃるとは…
精神分析でも推し量ることが不可能な人間の心の不思議さをこの言葉が示しているように思われました。
今でもこの言葉は深く残って、心の奥底から私に繰り返し問いかけてきます。