12月・・本当にこの月は切ない、悲しい記憶が生まれては消えずに、形を変えていつまでも積もって行く、そんな月に思える。



最近、仕事以上にいろいろ忙しくって、皆様のところにコメント、もしくはペタすら残せないことも多々ありごめんなさい。


出来れば楽しい事、笑えるようなこと・・そんな内容ばかり書きたい。


でも、読んで下さってる皆様に今1つだけ報告しなればいけない事がとうとう起こってしまいました。



12月19日、かねてから気にかかっていたぷぷちゃんを病院に連れて行きました。

って、本当はパピオがここ数日、口をパクパクさせて鳴けなくなったのが気にかかり、じゃぁ一緒に行くか!!!位の気持ちだったのです。

仕事の都合上、どうしても日にちの調整が難しく、結果延ばし延ばしになってしまったのが悔やまれます。




パピオは鳴けないもののいたって元気で、エサもモリモリ食べていましたが、ぷぷちゃんは異常に気付いてプラケに入れた途端、なんか元気が無くなってしまったみたいで・・病院に向かってる段階ではパピオ以上にぷぷちゃんが心配で心配でどうしようも無くなっていました。




なのに気持ちとは裏腹に足取りは重く・・本当に重く・・。。





※ 出発前のぷぷちゃん



なんだろう、、もうそれは気持ち悪くなる位の嫌な予感とでもいいますか、病院で言われるトドメ的な言葉がひたすら怖かったのです。


私は精巣腫瘍を疑っていました。

先生は、




確かに腹水が溜まってるのでとりあえず抜きましょう、でも腹圧関係でショック死起こす子も中にはいますのでそこのところ了承願いますね

とにかく腹水を抜かないとレントゲンに上手く写らず、精巣腫瘍かそうか断定がつきかねますので




と。

やっと抜けた腹水には血が混じっていて、先生は余り良くない兆候とは言っていました。




病院についた時点では、もう立っていられず腹ペタ状態だったぷぷちゃん。






急いで家に戻った時は、なんとか立っていましたがしんどそうに目をずっと閉じてました。

私はこの時、快方への好転反応と信じたかった。

でも、、なんだろう?とてもそう思いたくても思えないぷぷちゃんの状態でした。



次の日の朝から朝と夜の二回投薬開始。

抗生剤とステロイドの二種類。

もう嫌がる体力もないようで、ちょっと首を横に振ったくらいで簡単に飲ませることが出来ることが妙に辛く・・仕事に行って帰って来た時は




もう生きてるのがやっとなぷぷちゃん・・今夜が峠かと。。



もう薬が効くほどの体力が残っていないんじゃないのか!?

薬は逆効果だったのでは!?!?

腹水もいっそ抜かなければ・・



と、手の平の中に居る、もう暖かいだけが生きてる証しのぷぷちゃんを見て
それは吐きそうなほどの後悔をしていましたが、抜かなけらば抜かないで、投薬しなければしないで、きっと選ばなかった方の選択肢を後悔するに違いない・・そうとも思った。




21日の朝。

パパりんの



もう、、ぷぷ
難しいかもな。。



という声で飛び起き、見に行くと見るからにギリギリの命に縋ってる状態。







最後にみたぷぷちゃんは、なんとかウンチを出して頑張っていましたが、そのウンチは血便で悪い材料ばかり。



そして私は今日は仕事。

分かっていた。もうダメだと。たぶんぷぷちゃんは今日1日持つかどうか。

だって瞳にもう力が無い。なのに私は仕事に行きました。

「行って来るね」の私の言葉に目を閉じたぷぷちゃん。

最後の生きてる姿でした。



五時過ぎに帰ったパパりんが言うには、この時点でもう息絶えてたようです。

電話でそのままにしておいてと頼んで、あぁー別に急いで帰ること無いんだ・・と思いつつやっぱり急いで帰ってしまった私の目に、行くときと同じ場所で同じ角度で目は開けた状態でそのまま逝ってました。

なんの虫の知らせも無かったけれど、たぶん私が家を出たすぐ後くらいに亡くなったのかもしれない。

同室ののまる&くりむ以外は誰もその最期を見ていないので、もう何時亡くなったか、どんな風に亡くなったかは永遠に分かる術もありません。そう、ぷぷちゃんの出生の謎と共に・・



2014年12月21日 時間不明  ぷぷちゃん永眠 享年5歳と7ヵ月








2009年6月ごろ、某警察署で拾得物扱いで保護されていたぷぷちゃん。

余りに可愛くって人なつっこくて、最初はセキセイインコとは思えなかった^^;(私のセキセイなイメージは昔ながらのシマシマノーマルの緑か青だったのでっっ)



我が家に連れて来て1番初めに撮った写真です♪この時生後二ヶ月。

病院に連れて行った時、極めて免疫力が強くて丈夫!!とお墨付きを頂いたのが、今となってはぷぷちゃんに対する症状を軽視する仇になってしまった気がします。



元気花丸時代のぷぷちゃん

とにかく元気で無邪気で素直で頭良くって・・優等生。一度も手を煩わされた記憶はありません。






ジミーもにぃちゃんも、、





ピクオもセキセイさんはみんなぷぷちゃんが好きだったなぁ~♡

絶対に苛めたりしなかったし、エサも葉っぱ以外^^;は他の子に自分がいくらお腹減っても譲ってたし^^

子育てもめっちゃ協力的で!!


いいこだった・・本当にいい子。

なんの問題も無い・・私、1番長生きすると思ってた。だって極めて丈夫って思い込んでたから。

居るだけで、ただソコにるだけで安心できる、お日様のような可愛い子。

だから召されたのかなぁ~余りにイイ子だから長く苦しませないために・・てね^m^

私ね、今度生まれ変わったらぷぷちゃんの奥さんになりたいって本気で思うよv^^v

だって、いっつも奥さんのピクオが羨ましかったもんっっいいかも




亡きがらをイヤってほど目に焼き付けたあと、火葬か土葬で迷いましたが、パパりんの


土に還してやろう


の一言で土葬にしました。

羽も抜かず、、今までのも捨ててしまっていたので身体的な遺品は無いけど、思い出がある。写真がいっぱいあるからそれでいい。





ぷぷちゃんは桜の木の下で眠りにつくことになりました。

私の家から撮ったこの写真。いつでも見ることが出来るこの場所。

亡き母もここが好きで、桜の季節になるとよくこの木の下に寝転んでいたっけねぇ~≧(´▽`)≦

そう、桜が春になると満開のお花を手向けてくれるでしょう。そして他の季節もその時々の色とりどりのお花たちが、そして鳥の声、子供たちの声、、賑やか好きなぷぷちゃんにはいいでしょう?



後悔は腐るほどあるけど、それだけに本当にキリが無い。

でも、涙はキリが無い程に溢れて嗚咽と共にしばらくはこの桜の木を見ることになる、、そう思うし今はそれでいい。

でもそれもきっと時の流れが癒すんだ・・母の時と同じように。




ぷぷちゃん!あなたは太陽のようなインコでした。居るだけでその場が明るくなるような・・私には勿体なかったよ好

うらみつらみ無く前の職場を去ることが出来たのもあなたの存在があってこそ顔



だから、今日の日はさようなら、また会う日まで♪♪








~本日のお・ま・け劇場~


パピオは握られて投薬されまくって怒ってますがかお、元気に快方に向かってますよぉ(*^▽^*)(昨日はひさしぶりに鳴き声きけました!)


パピオ、カンカンですっっ

関係修復までまた時間かかるなぁ・・(-"-;A







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