5月9日(木)

何か少し書いておこうと思って
書き始めたら、
何だか、
物凄くたくさん…書いてしまいましたアセアセ

書かなくても良いようなことまで
書いたような気がしますが、
お時間のある時にでも、
もし、気が向いたら…
読んでやってくださいませ。

今の自分の
正直な気持ちを書いています。






おはようございます。

5月3日に記事を書いてから
頂いたコメントの御礼も書かず、
返信もせず、
記事も更新せずに
アメブロを放置し続けていて、
大変申し訳ありませんでした。

何をどう書いたらいいのか
分からなくなったのと

自分の気持ちも
その時々で変わってしまうのと

ずっと棚上げ状態にしていた
やらなければいけない
現実的なことが
目の前に沢山あって

とりあえず
現実的なことを優先していました。


実は、
いまだに、泣けないんです。

皆さまからのコメントを読んだとき、
少しだけ泣けたのですが、
それっきり。

まともに泣いていないまま
今朝を迎えています。


泣けないのは、

多分

泣く資格がないと思っているから。

悲しむ資格がないと思っているから。

あのとき
クレープの命を失わせてしまったのは
自分の不注意だと
よくわかっているから。

『業務上過失致死』

そんな言葉も、
頭に浮かびました。


でも、

自罰感情や自責の念を
ここに綴る気にもなれなくて。

それを書いたら
きっとそれを慰めたいと
思われる方々がいそうな気がする。

でも、私は、
その慰めを受ける資格はない
誰かに慰めさせてもいけない
…と、思ってるんです。


命は、それほどに重い。


ただ、
その一方で、

遅かれ早かれ
こうなっていたのかもしれない。

あのときの不注意を
引き起こしたのは
私にとって
必然的だったのかもしれない。

そんな思いもあります。

それほどに、
私にとっては心身共に、
限界を超えていた生活が続いていました。


目の前にある
やらなければいけない
現実的なこと。

それは、
クレープが旅立ったあとから
ずっと行い続けていて
それでも、いまだに終わらないくらい…
散らかり放題に散らかっていて、
完全なゴミ屋敷と化してした
家の中を片付ける作業ですが、

5日の日と昨日、
家中を占領して積み上がっていたゴミ袋を
業者の人にトラックで持っていってもらいました。
とにかく、ゴミ(殆どがクレのペットシーツ)が
ずっと捨てられなかったんです。
重いゴミ袋を持って外階段を降りることが
とても出来ない私の身体の状態が
もう半年以上も続いていて。
ゴミを捨てに行ってくれる人を
どうやって探したらいいのかと
もう半年以上、考え続けていました。
友人に何度も頼みましたがやってはくれず💧
そのうち 私も頼むのを諦めて、
役場に電話して、
求人をかけようかと思ったりもしていました。
筋肉の硬直を和らげるボトックスを打つ為に
札幌の病院に2ヶ月に一度通っていたんですが
クレープの食事や点滴を友人に任せられなくて
去年の後半から受診ができなくて、
ずっと身体が動かしにくい状態が続いていて。
勿論、
クレープを受診に連れて行くこともできなかった。
外階段から足を踏み外して
落ちてしまったことも何回か。
狭い家なのに
台所とクレのいる寝室の行き来すら5分以上かかって
体力と気力を使い果たしてしまうくらいで、
常に、クレの薬や食事の時間に追われながら、
クレープのそばに行ってその場で倒れ込む 毎日…
自分のことで最後まで自分がやらなくちゃと
思っていたのは、
何か食べなきゃという空腹感と
トイレに行きたいと思う排泄欲求と
睡眠欲求だけ。
クレープが旅立つ前は、
私もクレと同じように、そんな状態だったんです。
生きることで最低限必要なことだけ。
だから 物凄くクレープの状態に共感していたし、
毎日、生きようとして頑張っているクレープを
尊敬してもいた。
どうにかして クレープを助けてあげたいと思っていた。
貧血が深刻だと分かって、
命に関わると聞いて、
旅立つことになった日の日中は、
再生医療の幹細胞療法を検討していたぐらいでした。



片付けながら、

この何年かの心身共の余裕のなさで、

これも忘れていた
これも出来ずに終わってしまった
…ことを次々と思い出して、

忘れていたこと、
出来なかったこと、

それが、
日々のやらなけれざばならないことに
追われ続けていて、
全く頭にすら浮かばなかった自分に
呆然としていました。


直ぐ目の前のことしか
考えられなかった。

そんな毎日だったことの
再認識。


この数ヶ月、
頭の中は、ずっと
“もや“がかかっていたような状態でした。

何も考えられない状態が続いていた
何も出来ない状態が続いていた

それをどうにかしようとして、

折々に
立て直しをしようとしてたんだけど、

それはいつも
やりかけている最中
やろうとしている最中に
それどころではない状態になり…

その繰り返しでした。

振り返ってみたら、
もう何年も、ずっとそうでした。

正確に言うと、
クレープが16歳の8月に
てんかん発作を続けざまに起こす…
その何ヵ月か前から
ずっと。


少しずつ、少しずつ、
その心身共の余裕のなさが
積み重なっていって、

私自身も
いつ何が起きてもおかしくないような
そんな状態になっていって

薬の準備をしながら寝オチとか
寝オチしてお鍋を焦がすとか
後頭部が重くて吐き気がするとか、
もう当たり前で、
いつ自分が倒れて
意識がなくなってもおかしくないような
気がしていました。

そんな状態が、

クレープを
“こんなに早く“弱らせてしまい、
“こんなに早く“旅立たせてしまった原因だと
私は思っています。


それを、
「人間の限界」というのか、
「生きているものの限界」というのか、

そんな言葉で
片付けてしまって
果たしていいんだろうかと、

そんなことを
日々、考えています。

クレープに
申し訳なくて仕方がない。

でも、
そのことだけに
とらわれていてもいけないような
気がする。



ハムスターハムスター



クレープは、
色々な意味で、
私の『師匠』でした。

30代の私は、
色々なことがあって、

死ぬことしか考えられないような、
でも、
死ぬことすら“行う“気力も
残っていないような、

クレープとはじめて会った
40になりたてほやほやだった私は、
そんな精神状態で、
廃人同然でした。



実は、
どうせ死ぬのなら
色々あった土地ではなく、
以前、就職で来て、
8年間暮らしていた北海道に
帰りたいと思って、
前に付き合っていた元彼(友人)の家に
転がりこんだんです。

で、
まるで廃人のような状態の私と2人
一緒に暮らしていることが
友人も耐えられなかったみたいで

前々から
「ワンちゃんを飼いたい」と思っていたらしい
友人の気持ちに火がついて
クレープを迎えたんです。

ワンちゃん可愛いよラブラブ
それが、友人の口癖。

当時の私は、犬が苦手でした。
子供の頃に噛まれて以来
怖くて仕方がなくて、
犬が嫌いというより
とにかく犬が恐かったんです。

だから
犬を飼うことを
私は反対していましたし、
来てもすぐにおっかなびっくりで、
とても、触れなかった。


それが…

迎えて直ぐに
パルボウイルスで危篤状態になり、

死にたい自分がこうして生きているのに、
どうして、
生まれたばかりの仔犬が、
死ななければいけないのか。

絶対助けなくちゃいけない。
この子を死なせちゃいけない。

すっかり弱って
ぐったりしていたクレープだったので、
あんなに犬が恐かった私でも、
撫でることもできるようになり。

このまま家に置いていたら死んでしまう!

 そう思って
何日かかけて
ゆっくり?慎重に?
病院を探そうとしている友人に
「そんなことしている場合じゃない!」
と、喧嘩して説得。

入院させた時は、
病院の迷惑も省みず、
パルボで隔離室だったこともあり、
毎日、付き添ってアセアセ

そして、回復。

回復したクレープは、

『こうやって生きるんだよ』
『こうやって幸せになるんだよ』

それをずっと体現してくれていて、

生きる道筋を
私に教えてくれていた『師匠』でした。



そのクレープとの19年間を、

私は、
決して、無駄にしてはいけない。



クレープに対する
『申し訳なさ』

でも、私が、
その『申し訳なさ』に
とらわれて生きることを

クレープは
絶対に望んではいないだろうし、

私のお詫びや、申し訳なさは、
多分
あの心臓マッサージをしているときに
きっと、クレープは、
充分に受け取ってくれた気がします。

あのとき、
まだ「聴力」が残っていたのなら
なおさら。


だから、きっと、
クレープは、
あの日の朝の光や風を感じて、
笑顔のような顔で、
逝ってしまったんだと思う。


クレープの、
あの日の朝の表情は、
死後硬直がもたらしたものかも
しれませんが、

でも、

必死の声がけと
肋骨を折るほどの
心臓マッサージを続けてるうちに、
穏やかに眠っているような
表情だったのが、
段々と、ヘラヘラしてきて…
脱力MAXとしか
そのときは思わなかったけど

そして、
あの表情に
なっていったんですよね。


だから、私は、
そのクレープの気持ちを
最後の教えとして
生きていかなきゃいけない…


どうすれば
クレープが喜ぶか

どうすればクレープが 
幸せを感じられるのか

そのために、
今、 私ができることは…


そんな思いと、自責の念とが、
今は、
常に交錯しています。


でも、少なくとも、
クレープに会う前の私にだけは
決して戻ってはいけないと
それだけは、
心に決めています。


 
ガーベラ  ガーベラ



今日は5月9日。

クレープが
8年前、11歳のときに
心臓の手術を受けた日です。

あんなにしっかりと動き続ける心臓を
クレープは
手に入れたのに、

私はそれを生かしきれなかった。

あの手術は本当に大成功でした。

それを思うと
 手術に関わって下さった方々に
申し訳ない気持ちと、

何より クレープに、
申し訳ない気持ちでいっぱいです。


もっと、楽しく、
元気に、幸せに、
 犬生を生きることもできたはずなのに。



今日の 此方地方は
爽やかな青空が広がっています。

クレープが見ることのできなかった風景。

でも、
この青空の向こうに 
クレープはいるのかもしれませんが。




すっかり雲がなくなって、
すっきりとした青空。

ウチの寝室の窓から見える
いつもの風景。

いつも窓の外から聞こえてくる鳥の声を、
しっかり録音しようとしたら、
鳥の鳴き声は
近くの踏切の警告音に
反応していることが
分かりました。
ウチの近くにはJRの駅があります。

踏切の音が聞こえ始めると
鳥が鳴き始めて、
列車の通る音のときがピーク。

で、列車が通り過ぎると
段々、鳴き声が止んでいく。

故に、
静かな静寂の中で、
鳥の鳴き声が聞こえるのは、
↑の動画のラストあたりだけアセアセ


もしかして鳥達も、
犬の遠吠えのような感じで、
あのカンカン…という踏切の音に
反応してしまうんだろうか?

クレープも、
まだ若い頃には、
よく踏切の音に反応して
吠えていたものでしたが。
遠吠えは、数回ぐらいしか
聞いたことないんですが




昨日、

ポストの中で見つけたハガキ。



特に用が無ければ、
中々家の外に出ない私は、
ポストの中を見たのも久しぶりでした。

独り暮らしで、
自分に何かあったら
誰かが気付いてくれるように
新聞をずっととっていたのですが、
何かあれば、溜まるので。

随分前…去年あたりから、
クレから目が離せないのもあったし、
私も、ボトックスにずっと行けなくて、
ウチの外階段の昇り降りに、
物凄く時間がかかるようになり、

家の外に出ない毎日で、
ポストすら放置するようになり、
“たかが“ポスト確認の為に
30分以上もクレを放置するのが心配で。

新聞が溜まり過ぎて、
そのうちポスト外…
家の敷地近くに新聞も郵便物も散乱して
雨風に飛んで。
郵便物もどれだけ無くしたことか💦

しかも、
その散乱状態にも全く気付かずに
家の中に何日も。
日常の買い物は、
とりあえずクレに必要なものは
友人に買ってきてもらってましたが
自分は丸一日何も食べてないとか
飲み物飲んでただけとか
当たり前の生活💦
4月になってからは、
ようやく自分の食べるお弁当類を
買ってきてもらえるようにはなったけど。

さすがにそうなると、
近所のご迷惑になっていて
苦情の電話。

で、
新聞をようやく止めたのは
3月末。

新聞屋さんも全く集金に来ないし
実は、新聞屋さんの連絡先が
分からなかった。
新聞仕分け?の作業場?に
いつも半年~1年ごとに
クレのお散歩ついでに
直に払いに行っていたのもあって、
その作業場の電話番号が分からなくて。

新聞を止めたことで
郵便物が散乱しなくなったから
このハガキも無事だった…アセアセ


最後にポストの中を確認したのは、
クレープの火葬をした
4月30日。







このハガキ。

差出人が分からなくて、
いや、虹の橋にいるクレープからなんだろうけど。笑

消印を見たら、
4月30日の12時~18時の間に
受け付けられてる。

クレープの火葬は、
4月30日の12時10分~13時。

何というニクい演出。
多分、偶然なんだろうけど。

多分、
クレープが心臓の手術でお世話になった
札幌の病院からだろうとは思うんですが。


ありがとう。クレープ。

ありがとうございます。
北の森どうぶつ病院の皆さま。

とっても
とっても、嬉しかったけれど、

でも、あんな言葉をもらう資格が
私にあるんだろうか。

そんなことを思いながら 
ハガキを読んでいた昨日でした。



ブログ記事に
コメントを書いて下さった皆さま。


クレープの旅立ちの日を書いて
記事をあげて下さった
ブロ友さま。
使われていたクレープの写真は、
私が大好きな
草を食べていたクレープで、
それもすごく嬉しかったです。


本当にありがとうございました。

頂いたコメントは、
クレープの顔を見ながら 
全部、心を込めて、
私自身のクレへの謝罪コメントも込みで、
クレープにも読んであげています。

もう少し気持ちが落ち着いたら
 きちんと返信を書きますね。


まだまだ、
家の中の片付けには
時間がかかりそうですが、

それが片付いた頃には、
私の気持ちも
だいぶ落ち着くと思います。

今はまだ、
読み返せる気持ちにまでは
なれないんです。

読んでいると、
自分で自分を、
殴り倒したくなりそうで。

実は、何回か、 
自分の顔を
思いっきり平手打ちしたんですが 
そんなものじゃ、
とても足りない…

本当に、ごめんなさい。



チューリップ チューリップ

ウチの寝室の窓の下に、
沢山咲いているチューリップ🌷



このチューリップは、

去年、お亡くなりになった

人間換算のクレープと

“年が同じ“ だと話していたことがある

大家さんが植えていたもので、


窓の下は

大家さんの畑だったんです。


毎年花を咲かせて 、

球根を掘り出して、

また球根を植えて、 花を咲かせる…


その球根の掘り出し。


大家さんは毎年やっておられましたが、

出来なくなってからも、


大家さんが亡くなってからも、

 チューリップはこうやって、

厳しい冬の寒さに耐えて、

毎年、花を咲かせている。



その生き生きとした生命力。



大家さんも、

 生前は、とても元気な方でした。



私も全く家の外を構ってなくて

壊れた網戸が

落ちたままになっておりますが💦


この生き生きと咲いている

チューリップを見ると、

大家さんのことを思い出します。



クレープの強くて逞しかった

あの生命力。



ずっと一緒にいて、

それをクレープから教えてもらっていた私は、


このチューリップみたいに

生き生きと 生き続けて

花を咲かせ続けなければいけない。



自分にそう言い聞かせながら

過ごしています。



大丈夫。


クレープはパピヨンだから


パピヨンのクレープが

いてくれたから


私は 大丈夫だよ。