あら~、知らないうちにF1日本グランプリが開催されてたようです。
へ~、今や鈴鹿は4月開催なんですね。
僕が知ってた、最終戦前の天王山なんてのは今は昔なのでございます。
当時の僕は、アンチ・セナで大のアラン・プロストファンでございました。
1989年にフライング気味のスタートでプロストがセナの前に出たのと、1990年のやはりスタートでフェラーリのプロストがセナの前に出たのが鈴鹿の最高の思い出でございます。
1990年は、直後にセナがわざとプロストにぶつけるんですけどね。
あれは酷かったです。
いや、1989年はシケインでプロストがセナにぶつけたじゃないかって言われますが、当たり前ですけどコーナーの優先権は前にいたプロストにあるんであんなものぶつけたうちに入りません。
単なるブロック。
1990年もセナは後ろからプロストにぶつけてるんだから話にならんよ。
当時、セナは危険なドライバーってレッテルを張られるんですが仕方が無かったんじゃないかしら。。。
結局、セナはその後、言わんこっちゃないイモラのコンクリートウォールに張り付いて死ぬんだけど、ああいう走りを容認していたことに問題があったんじゃないの?
若い頃のプロストもかなりキレた走りをしてましたけど、ニキ・ラウダに負けて考えを改めるんだよね。
セナは自分が一番偉いと思ってたから、絶対に考えを改めなかったけど。。。
ああいうのを喜んでた当時のF1ファンってのも相当程度が低かったと思います。
1989年の最終戦、雨のアデレードで出走を拒否してFIAを批判したプロストの態度こそ賞賛されるべき。
モータースポーツはドライバーの生き死にをかけるべきではないのです。
そういえば、今回、ポイントを獲得した角田がS字コーナーの先の逆バンクでバンバン、オーバーテイクしてましたけど、あの逆バンクでアウトに振ってダンロップコーナーのインにつくラインって、昔、エディ・アーバインが使ってたラインですよね。
アーバインはF3000だかで鈴鹿を走り慣れてたんで、あの出鱈目な走りが出来たんでしょう。
まさか、角田もやるとは思いませんでした。
そもそも、逆バンクって名前は、本当にバンク角がコーナーに対して逆についてる訳ではなくって、あのコーナーだけバンクが緩くて一瞬車体が浮き上がるように感じるからつけられれたはずなんですけど、あそこでアウトに出るのって相当に怖いと思うんですよね。
それだからこそ鈴鹿を走り慣れた連中だけが走れるラインってものがあるのかもしれません。
まあ、鈴鹿だけの一発屋ともいえるんですが。。。
そういえば、そのアーバインは鈴鹿でセナをブロックして前に出さなかったとかで殴られてましたよね。
テメェ、アブねぇじゃねぇかって。。。(笑)
セナは、ミハエル・シューマッハにも文句を言ったことがありましたけど、最後まで自分の走りが一番危ないってことには気がつかなかったんだな。。。
確かに、セナが一番速かったのは間違いないんだけれども。。。
ってなわけで。。。
本日のおつまみは、日本人ドライバーの健闘を祝して、日の丸目玉焼き。
おめでとうございます。