ん~、昨日は長々書かなかった分だけ、今日は書かないといけないのかな?

 

間違いなく、長い文章って読まれないんですけど、長文を書けって人も中にはいらっしゃいます。

 

通勤時間に読んでるのに短いと読み終わっちゃって困るだろうってことらしいんですが。。。

 

わがままだよなぁ。。。(笑)ってか、こんなの読むの数分やんけ。。。

 

 

それにしても、どうしてそんなにイスラエル・パレスチナの問題に固執するんですか?ってよく聞かれるんですけど(本当は誰一人聞いてきた奴はいないんだが。。。)、とりあえずはジャン・ジュネの影響って答えるようにしています。

 

ジャン・ジュネ「シャティーラの四時間」

 

 

 

 

とりあえず、冗談でも仏文出身ですからね。ジュネはヒーローです。「葬儀」とか、「ブレストの乱暴者」とか、「泥棒日記」とか、「花のノートルダム」とかです。

 

生まれた瞬間に親に捨てられて、盗み、かっぱらいで生計を立てながら軍隊行って、当然男色で、薬の売人で、終身禁固刑になりかけたところでその文学的才能を認めたコクトーとサルトルに助けられたっていう中二病文学男子の憧れの存在なの。

 

「シャティーラの四時間」は2010年に翻訳が出たんですけど、まあお陰様で内容は学生時代から知ってました。

 

最近、増刷がかかったとは聞いてはおるんですが、なかなか見かけないなぁ。よろしかったら、是非。

 

イスラエルが、レバノンに潜むPLO(パレスチナ解放機構)を殲滅せんと攻め込んだ時にシャティーラのパレスチナ難民キャンプで大虐殺を起こしたの。犠牲者は、二日間で1,000人とも、2,000人とも、3,000人とも言われてます。

 

攻撃の責任者はその後首相になるアリエル・シャロン。のちの裁判では証言者を車ごと爆殺したりしてます。そうそう、僕のブログでもよく話が出る、シャロン、ブッシュJr. 小泉の三馬鹿トリオで有名です。

 

とにかく、あの連中ってのはやってることが今も昔も変わらないね。

 

ジュネは西側ではかなり早い時期にここを訪れた一人なんじゃないかな。その時の体験をレポート的な小説として書いたのが「シャティーラの四時間」。

 

ちなみに、ほぼ最初にこの虐殺が起こったキャンプに入ったのが日本人の広河隆一で、これも本になってますから、良かったら是非。

 

晩年のジュネはパレスチナ支持でしたから、当然僕も影響受けた訳です。

 

まあ、最初はミーハーな理由よ。

 

それがねぇ。。。今の今までこんな状態が続くとは。。。

 

さすがに想像できませんでした。