今年の4月に書いた記事ですが

最近お友達になった方への紹介も込めて

再度アップしますおねがい



めっちゃ久しぶりすぎて、3月は一度も

ブログ書いてなかったことを今知りました。。。。

 

おはようございます!

今日はこれからあるイベントに参加します^^

 

また報告させてくださいおねがい

 

 

私のプロフィール、改めて紹介しますデレデレ

 

最近お友達になった方や、私のここ数年の

ドタバタを知らない方へ。。。。

 

こういう記事、もっとちゃんと整備していこう。。。。

 

では〜、行ってきます馬

 

新年度、良いスタートとなりますように!!

 

 

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京都生まれ、京都育ち、東京在住のパピヨンです。
2021年で53歳になりました。

2015年に起業し、「パピヨン品川」というハンドメイドブランドを立ち上げました。


起業をずっと夢見て貯金し、入念に準備し、、、
と言いたいところですが、46歳の時に大きな病気をし、手術のため4ヶ月入院。
失業しました。


独身だったことや、両親の離婚により実家がなかったこともあり、
退院後も東京で1人で生きていくしかありません。

人生って、こうも厳しいものか、と暗闇の中で孤独しかありませんでした。


4ヶ月もの長期入院を経て、退院しても、いつ働けるかわからない。
精神的にも経済的にも、誰にも頼ることができない。


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47歳で無職。貯金なし。ツテなし。健康なし。若さなし。。。
そんな、ないないづくしの人生が始まります。


病名は変形性股関節症という、股関節が壊れていく病気でした。
ヒトの体の中で一番大きな股関節を手術していたため、
退院直後は部屋の中ですら松葉杖がないとトイレにすら行けませんでした。


杖で両手が塞がれるので、何かを持つことができず、
食事の配膳のためにキャスター付きのワゴンを購入したり、
床を蹴って移動できるようにキャスター付きの椅子を購入したりしました。


退院後、何とか働ける道はないものかと模索しましたが、
重いものを持つ仕事や、足の筋肉が衰えているので、歩く仕事、
立ちっぱなしの仕事は無理。

そして何より、こんな状態で東京の朝の満員電車に乗ることは、
とてもじゃないけどできないと思いました。


でもその時、不思議と不安ではありませんでした。
通勤できないなら、人に来てもらえばいい!
なぜか私はそう感じたのです。


今思えば、安易かつナゾのスーパーポジティブ(現状が見れるほど
冷静になれなかっただけ?)さも手伝って、退院後3ヶ月でほぼ迷いなく
起業を決意します。


経済的に頼れる人や貯金は全くありませんでしたが、幸いにも?
長期入院で得た入院保険金があったので、それを全て起業に使いました。


起業は、ポーセラーツという、真っ白な食器をデザインするホビーを
生徒さんに教える講師になりたい!ハンドメイド教室を開業したい!と思いました。


思えば私は小さい頃から手先が器用で、手芸やハンドクラフトに
長く親しんでいたし、長期入院の間も、手芸道具を持ち込んで、
退院する仲間へバッグを作ってプレゼントしたりしてました。


そして、入院中の辛い気持ちを一瞬でも忘れさせてくれたのは
このハンドメイドでもありました。


私の手先が器用なのは、きっと不器用な生き方しかできないから、
神様がギフトをくれたのだ。なんだか勝手にそんな風に思う私もいました。


2014年から1年がかりで資格を取得し、材料や食器を焼くための高額な窯を買い、
棚やレッスン用の小さなデスクや折り畳み椅子など、その時の自分にできる限りの工夫で、手元にあった入院保険のお金を使い果たし開業します→アホです


開業当初は物珍しさもあって、知人や友人がレッスンに来てくれましたが、
みるみる客足は遠のき、売り上げは落ち込み、それでも体は働ける状況ではなく、
なんとか教室を軌道に乗せようとしましたが、どうしてもうまく行きませんでした。

大昔の作品。。。。懐かし〜!



当時、とにかく現金がなかったので、生活費のほとんどを
カード払いにしていました。そして、借りては返すを繰り返す中で
現実は厳しさを増していきます。


翌年の2016年、生活はどんどん苦しくなっていきました。

もう足も良くなり始めている。今なら働けるかも?教室だけではなく、
バイトでもいいからどこかに勤めよう。そう思ったのも束の間、
更年期障害が悪化し、めまいや強い倦怠感で、働けそうにもない状況に。。。

そして、その時がやってきました。

私は区役所の福祉課の、生活保護の相談窓口にいました。
担当の方は、病気で起業して生活が立ち行かなくなったのはわかった。
あなたのケースなら、生活保護は下りるでしょう。
でもあなたのその借金の額は、多すぎるので、まずは自己破産してから、
もう一度窓口へ来てください。


自己破産。
今までの自分の人生に関係なんてなかった単語。


お金持ちではなかったけど、でも会社員として一生懸命働いて、家賃を滞納したことも、ライフラインが常に止待っていることなんてなかった。

知人も誰もいない東京で、1人で25年以上頑張って、一人前の社会人として生きてきたと思ってたのに。。。。成れの果てが自己破産。そして生活保護。


生活保護=社会の底辺、という自分の思い込みに気づき、そしてそんな気づきから、社会的弱者を無意識で下に見てた自分。

いや、私も底辺だから。
もうそういうくだらない見栄や、去勢は捨てよう。

そう認識できた時、やっと現実と向き合えたような気がしました。

キャッシングとリボ払いで、もうお金が借りられなくなるほど借金が膨らみ、
月の返済額は15万円を超えていました。

もう、何もかもが限界を超えていました。


返済地獄から抜け出そう。
自己破産して全てやり直そう。

そうハラをくくり、来週、自己破産します。弁護士事務所に行ってきますと
facebookに投稿すると

辛かったね。
そんな状況だったなんて知らなかったよ。
と、たくさんの方の同情と応援をもらいました。

2016年の年末間近の事でした。

その中で繋がりのあった同性の起業家の方から、
あなたの作品は素晴らしいから、自己破産はしないほうがいい。
支援するからその間になんとか立て直してください。
との申し出があり、自己破産は免れました。

その後、何とかレッスンやオーダーで生活を立て直そうとするも
どうしても立て直せず、支援は1年間で終了。

だけど一年前とは違い、
術後約3年、そして更年期障害も一年前よりは落ち着いている。

働こう。
今すぐお金が、現金が必要だ。


今勤め始めて、月末や来月にお給料では間に合わないところまで
生活は追い詰められていました。

そこで私はオミズのバイトをやろう!と思い立ちます。
なぜオミズか?と言うと、それは日払いで5千円まで現金で貰えたからです。


ついに私は、熟女キャバクラの面接に震えながら行くことに。
その時、49歳でした。


年末バイトや、短期でスナックなどでバイトしたことはあったけど
それも30代の話。

50手前のおばちゃんが果たしてオミズとしての需要があるのか?
と思いましたが、当時は熟女ブームもあり、謎の需要があったのです(苦笑)。

短期バイトや週1〜2程度のお気楽なバイトではなく
週5〜6勤務の、ガチお水バイト生活。

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ホンマに場末のスナック的なキャバでした(苦笑)

でも金曜日にはお客さんを断るほどの人気店だった。。。

 



作品やレッスンどころではなく、毎日エロ酔っ払いを楽しませるという
自分の引き出しには全くないワザを身につけるため、日々奮闘し

バイト当初は客の一言にトイレで泣いていた私が、数ヶ月後には
客のざれごとを笑いに変えるまで成長?していました。

今までの暮らしとは全く違う世界での生活が始まりました。

(ここでの熟キャバ話はたくさんあるし、ブログのリンクでもあるので良かったら読んでみてください。)


私の現実の変り方はいつも

こんな現実、もうイヤ!

と、限界まで追い込まれ、もうどうにでもなれ!と開き直った後に
激変してきました。人はものすごく感情が揺さぶられないと
現実を変えようとはしない生き物なので、本当にまんまやな〜と
呆れるのですが。。。。


その後、オミズの世界に入って3ヶ月ほど経過した、2018年の5月ごろに、今の夫と出逢い、1年後には人生初の同棲をしていました。。。。。

それまでの50年間、一度も異性と一緒に暮らしたことがなかったので
青天の霹靂というか、本当に人生って何が起きるかわからんな〜と
改めて感じました。

そしてその彼と翌年の2020年2月、51歳で初めての結婚をしました。
出会ってから2年弱で結婚するとは自分でもびっくりです。。。。

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結婚直後にお友達がお祝いにお花をくれた💖

コロナ直前の2月。

 


こじれた家庭環境で育った私は、他人を信じられず、甘えられず
ゆだねられず、強がってばかりで、だけどわかって欲しくて
寂しい半世紀だったのかもしれません。


本当に、人生は何が起きるかわかりません。


一見大変そうなこと、苦難だと思えることも、塞翁が馬ではないけれど
回り回って、今の幸せにつながっているのかもしれない。


だから、苦難や困難は自分をより自分らしく生きるために
起こるものかもしれないと、この数年間が夢だったみたいだな〜と
今、穏やかな日々を過ごす中で、感じています。
(つまりは自分らしく流れていければ、ここまでの苦難や困難は
起きないのではないか?と彼と出会ってから感じています)


これからは、追い込まれて仕方なく現実を変えるのではなくて、
幸せなまま、もっと幸せになっていこうと思います。

 

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引越し前日の新居。

ここで新しい人生、新しい暮らしが始まりましたおねがい

 

続く(人生は)

 

20220401