空はいい感じの秋雲ですが。

 

 

暑い…えーん

もう本当に辛い。

 

去年のこの時期、そんなに暑かった気はしないのですが。

 

先日、一周忌と納骨の法要を済ませましたが、実際の命日は今日です。亡くなった(のに気づいた)のは早朝1時頃なので、寝る前に

「ああ、一年前の今日はまだ生きていたんだな」

今朝起きて

「もう『去年は生きてた』じゃなくなってしまったんだな」

と時間の流れを感じました。

今日は出勤だから、お花を買って早く帰ります。

 

日曜日に長崎の叔母(実母の妹)が二人で面会に行ってくれて、その時の様子を伝えてくれたのですが

「私たち(妹達)をよく分かっていない感じがした。(適当に話を合わせる感じ)」

「話の中で『XX君(弟)、海外勤務なんてすごいじゃない!』と褒めたけど、自分の子どもの事とは認識できていなかった」

とショックを受けておられました。

 

ああ、そうだよね…。

最近、電話もタンスに仕舞い込んで通じなかったり、会話も今ひとつ成立しない。

ただ、昨日は珍しく電話がかかって来て、「ぱぴちゃん?」と私の実名をちゃん付で呼んでいたけど、月末会いに行って、対面で認識できるかは分からないなー。

義母は最後まで、私の名前を忘れなかったけど、母はどうだろう。

 

私はこの病気に経験値を積んでしまって、忘れられて悲しいと言う気持ちはあまりなくて。

だって病気だから、選べないし。

母の記憶がなくなっても、私が覚えてるし、過去の事実が消える訳でもない。

ただ、本人たちが、常に知らない場所、知らない人達の中で落ち着かないから、可哀想だな、と思います。

 

特に、お義父さんに大切にされて、自分達夫婦の自宅を構えた義母と比べると、長らく嫁として夫の実家に嫁として暮らした母は、いつも「ここにいていいの?いつまで置いてもらえるの?」って怯える感じが強くて、切ない。

 

切ない秋の空です。

何かこう言う暗い記事が多いけど、本人は元気に、禁酒中です。