以前紹介した「モラ夫の中学時代からの友人U」は、外交官の息子でいわゆる帰国子女。子供時代は主に南米エクアドルにおって、中学頃に帰国したと思う。

最初は日本語が不慣れで非常に苦労したらしい。

その当時、日本の学校では全く何の支援もなかったらしいしな。

登山が好きで、こないだ会うた時は「ヒマラヤにも行った」(エベレストではない)と言うてた。パーキンソン病に罹ってしもたんで諦めたけど、最後はアンデスに行ってみたかったと。

 

さて、その友人Uがモラ夫と最後に会うたのは、おそらく去年の秋頃ではなかったかと思う(記憶が曖昧)。

その時の悲惨な話:台詞はすべて関東弁変換をお願いします。

 

ウナギを食おうちゅうことになって、ウナギ屋で弁当を買い、さらに百貨店でその他の食いもんを仕入れたらしい。

そして、いざ食おう!てなった時に、

「Uよ!なんでこんな散財するんや!」て急に怒りだしたらしい。

Uは「人に奢って怒られたん初めてや」と憤慨しながら語ってた。

ほな、そんな怒ってるんやったらもう食わへんのかと思たら、なんと!モラ夫は全部食ってたと。Uは唖然

 

さらに、突然「永山則夫についてどう思う?」て聞いてくるから、「何を突然に」と思い適当に答えてたら、「それは違う!!」とまたしても激怒!

 

ホテルに泊まった翌日は、朝の5時半に部屋にやってきて、

「このお茶飲め」てホテルに置いてあったお茶を持ってきた。

「いや、要らん」て言うたら、またしても激怒!!!

 

ほんまに腹が立ったと言うてた。

でも相手はステージ4の癌患者。しかも末期に近いてなったら、やっぱり気使うよな、誰でも。

もう、とにかく、相手から自分が期待する反応が得られへんかったら、激怒・激怒の繰り返し。

しかし!分かる、その状況。目の前で繰り広げられてるかのように分かる!おそらくそれが分かるのは私だけやと思う。

実際、納骨時にこのエピソードをモラ夫姉夫妻にも伝えたが、この臨場感面白さは全く伝わってなかった。

 

さらにもう1つ。これは私に係わる話:

癌発覚から抗がん剤治療3ヶ月過ぎた頃、モラ夫は関東の自分の地元に行く!と言い出した。それ自体も「大丈夫か?」と思たけど、なんと!私の同伴も強要された。

 

まあ、色々とあったが、何とか無事乗り越えて帰宅と相成った。

夜になり、最後のバスを降りて後は歩いて帰るだけ、ちゅう時になって、

奴は階段の段差につまずき、盛大に転けてくれた。

眼鏡が割れ、こめかみ辺りが切れて出血した。

確かに切れてたし出血もしてたけど、血が止まらん!ちゅうわけでもなし、たいしたことはないやろうと私は思た。

しかし!奴はもう大騒ぎ。家に帰るなり「救急車や!」

私の見解としては、一晩様子見て、アカンかったら外科の医者に診てもろたらエエやん、ぐらいにしか思てなかった。

 

奴は自分で119に電話しよった。結局、自分で行けそうと判断され、救急車で運ばれることはなく、救急隊員が連絡してくれた病院に自分で行くこととなった。

処置はすぐ終わった。私の予想通り、縫うでもなく、消毒しただけ。

余談だが、うちのパピヨンのボクは秋田犬に噛まれて数針縫うたで。

 

この件についてモラ夫は友人Uに語り、散々私を悪く言うとったらしい。

でもUは、「それはあんたの態度が悪いからやろ」と喉の先まで出かかったのを、ようやく納めたと言うてた。あ~笑た!爆笑やった。

 

初めて私の窮状を分かってくれる人間に出会えて、私は非常に嬉しかった!!!

もうモラ夫は最後の方は「あいつはアカン!」とどんな人間でも悪く言うとったもんな。そう言えば、モラ夫はこのUのことも「アスペルガー」呼ばわりしとったし。

本来の性格もあるんやろうけど、やっぱり抗がん剤でかなり脳もやられてたな、あれは。