昨日、モラ夫の中学時代からの友人が来てくれた。

前にも書いたと思うが、彼はマイケル・J・フォックスと同じ「パーキンソン病」を患っている。

別のモラ夫の友人Kが言うには、

「最後に会うた時にすったもんだあって、今でもムカついてる」と聞いてたので、

もう来ーへんやろと思てたら、「甥っ子の運転で旅行を兼ねてそちらに伺う」というメールが来た。

 

容態は心配だったが、思てたより元気そうで、まだ自分でちゃんと動けてた。

手は震えて、足も若干おぼつかずスッとは歩かれへんかったけど。

 

その友人は、モラ夫とは中学1年からず~~~っと一緒で、大学も同じだった。

一番身近な人間として、モラ夫にも散々ひどい目に遭わされてきたようだった。

だから、この友人が私の「窮状」を一番よく理解してくれた。

最後に会うた時の悲惨な訳の分からん展開も聞かされ、笑た。

で、「短時間でこれやったら、ずっと一緒やったら辛かったやろうな」(関東人なんで関西弁ではない。関東弁に脳内変換をお願いします)と労いの言葉をいただいた。

詳細はまた別の機会に披露しようと思う。

 

さて・・・セカンドオピニオンの顛末の続き

癌には「遺伝子変異」なるものがあり、大腸癌の場合はKRASという遺伝子とBRAFという遺伝子が変異していないかどうかを最初に調べる。

それに基づいて使用する抗がん剤が決まる。

 

うちのモラ夫は当初は「KRAS変異なし」だった。

そのため、ベクティビックス(薬名:パニツムマブ)を使用することができた。

モラ夫の場合、この分子標的薬が非常に効果があった。

一旦ベクティビックスは打ち切られたが、私はこれを再度使うことを提案した。

実は、インターネットで学会報告等で「パニツムマブのリ・チャレンジ」という報告を多々見つけていた。さらにその効果も。

Ask Doctorsというサイトに登録し、複数の医者に質問して同意も得た。

 

 

さて、いざセカンドオピニオン出陣となったが、

当の国立病院が「大学病院を超える回答ができるかどうかは分からない」という頼りない返答をしてきたことは前回お伝えした。

幸い大腸外科の医者が引き受けてくれることになり事なきを得たのだが、

 

その時、モラ夫は

「そんな近くの病院に頼むからや。そら大学病院に気使うやろ。全然違うとこの病院にすべきやったのに」云々言い出した。(これも関東弁変換をお願いします)

 

ムカついた。あんた「私に任す」て言うたよな!

それにそんな意見あるんやったら、何でもっと早よ言わへんねん?

あいつはいつもそう。

すべて終わって結果がショボかったら、それをすべて人のせいにする

何なんかね?あれ。

 

続いて、セカンドオピニオンを受けるに当たり、こちらの状況を説明するための文書を作成した。これについては私も同意の上で私が作成した。

私は腫瘍マーカー2種類(CEA+CA19-9)の数値をずっとExcelに入力し、グラフ化していた。そのグラフにこれまでの抗がん剤処方を追加し、さらにコロナワクチンや、眼の手術のことも書き込んだ。

さらに、学会報告の記録を10件ほど添付した。

その上で自分の所見を追加記入した。

 

そこまでは良かった。

前日になって、モラ夫がそれを確認しよった。

それはエエけど、何と!!!添削始めやがった。「ここは削除、○○のことも追加して」と要求してきやがった。

 

ファイルはPCに保存されてるから変更は簡単やけど、その「添削」が延々5回ぐらい繰り返され、さすがの私もイラついた。

あいつは大学で「卒論優秀賞」なるものを取っとるから、自分は「理路整然・論理的」と信じて疑わない。

あたかも、教授が卒論指導をするような勢いで添削しやがって!!!

ああ~~~。思い出しただけで頭が沸いてくる!!!

 

いざ、セカンドオピニオンを受ける段階となり、待合で待っていた。

私は「また若造医者やったらイヤやな~。ジジイ医者もイヤやし、中堅ぐらいの医者がエエな」と思てたら、出てきた医者は40代ぐらいの中堅医者やった!!

良かった!!!

詳しく話を聞いてくれて、私の処方についても納得してもろた。やった!!

 

その後、その国立病院に転院することに相成った。

大学病院では私が推す処方やってくれへんからな。

大学病院の方は結構すんなり転院手続きをしてくれたんで助かった。

ちゅうか、癌患者・モラ夫はええ加減ウザがられてたんかもしれんがな。

 

KRAS遺伝子は、当初は変異なしやったが、分子標的薬を続けたからか、あるいは時間とともにそうなったんか、モラ夫の癌のKRAS遺伝子は若干「変異」していた。

大学病院が私が推す処方をやりたがらなかったのは、そのためだと言える。

でも、数字見たら変異も「若干」やったんで、その国立病院には「とにかくやってみてくれ!」と頼んだ。

 

転院後、その処方を開始した。するとやっぱり腫瘍マーカーは下がり始めた!!!

モラ夫も私が奨めた処方に納得しとった。結果でたらすぐ電話してきよったからな。

しかしベクティビックスの劇的な効果が続いたのは3ヶ月。

また腫瘍マーカーが上がり始めた。

そのため、次の処方に移行することになった。

でも、私はもうちょっと、あと数ヶ月はやってみてもエエかなと思てたけどね。