オカンの家の押し入れを「ガサ入れ」したら、オトンの葬儀の写真群が出てきた。

白黒写真ド昭和の風景、ド昭和の葬儀

葬儀は8月の真夏だった。

集合写真に写るガキども(私等兄弟3人+いとこ等)は皆グッタリ~~~。

「はよ終わらんかな~」ちゅう態度の悪さ

なかなかオモロい写真ではあった。

 

オトンは私が9才の時に亡くなった。

その前数年は入退院を繰り返していた記憶がある。

だから、私のオトンの記憶は「幼稚園児」の時止まり。

 

オトンの葬儀は会社の社長が「社葬」としてやってくれたらしい(当時はガキの私が知るよしもなし)。どうりで盛大な葬儀やった。

その後のめんどい年金やらの手続きも会社がやってくれた(らしい)。

銀行に関しては、昔は今みたいにうるさなかったんで、うちはいつまでもオトン名義の銀行口座使てた記憶がある。

というわけで、オカンは私が経験した「葬儀の仕切り」も「怒濤の手続き」も経験していない。

 

モラ夫が亡くなってからオカンと毎日接してると、ええ加減オカンがうざくなってくる。まあ、ボケてるせいもあるんやけど。

あの人は結局、オトンとの「結婚生活」なるものは5年ほどしか経験していない。

後はずっと1人でやってきたから、「結婚生活」のことなんかすっかり忘却の彼方に消え失せてる。それで「自分のペース」ができあがってしもて、それを貫徹しようとしよる。

 

私は私で、人とずっと一緒におることが苦手。

だいたい、人に合わせるのが嫌いやからな。しゃーない。

人間関係て、時々会うからこそ楽しいと思てる。それは「親」でも「男」でも一緒。

付き合ってる時は楽しいのに、いざ結婚して一緒に住んでるとだんだんうっとおしくなってきて、1人の時間を渇望するようになる。

 

「不倫関係」なんか、危険を冒して時々会うからこそ楽しい・「幸せ」と感じるんやろと思う。それで、さんざん悶着を繰り返し修羅場を経て一緒になったらなったで、また元の木阿弥になるんとちゃうかな。というのが私の見解。

 

実際、離婚してからの方がかえって仲良くなったという夫婦も知ってる。

 

モラ夫にはさんざん「アスペルガー」と言われたが、

それはそれであながち「完全な間違い」とは言えんかもしれん。

実際、私は「忖度」はしないし、「人からどう思われてるか」なんか気にしたこともない。

 

『人にどう思われてるかを気にして自分の行動を制限するんか?

自分の行動に確信があるんやったら、人にどう思われてもエエやないか。

人に良いように思われたからてどうなん?どんなメリットがある?

いざとなった時、そいつら助けてくれるんか?』

 

モラ夫生前時、モラ夫はいつも取引先の大企業のニイちゃんと飲み歩いてたが、私も数回その場に「お誘い」を受けて登場したことがある。

そのニイちゃんはエエ奴なんやけど、人の目を気にしすぎるとこがある。

その時に上記の台詞を彼に言うた。

妙に納得しとったけどな。ちゃんとやってんのかな?今。