うちのモラ夫のモラハラ攻撃の被害者は何も私だけではない。
奴はほんまのモラハラ男で、外に出たらカスタマー・ハラスメント、病院ではモンスター・ペイシェント、直前の会社ではパワー・ハラスメントと、至るところでハラスメント攻撃を繰り出していた。
だから、私は極力一緒に出かけないようにしてた。
家の中だけならまだしも、外でやられたら堪らんからな。
去年の年末から2週間ほど入院したけど、病院の人等も大変やったやろうな~、さぞかし。実際、後でモラ夫が散々文句垂れてたことを看護師や医者から聞いた。
私とモラ夫は同じ大学だったので、共通する友人も多々いる。
葬儀の後、モラ夫の中学時代からの友人Uから音沙汰が全くないのが気になって、別の友人Kにそのことを尋ねてみた。Uは数年前からパーキンソン病に罹っていたことは知っていた。だから、いよいよ体調が悪くなって入院したんかと心配になった。
すぐに安否を尋ねたKから連絡があり、『去年モラ夫に会うた時に喧嘩別れし、それが今も沸々とわだかまってる』と言うていた。
私もモラ夫本人から喧嘩別れのことは聞いていたが、もうだいぶ経つのでそんなことは忘れてるんかと思た。なんせ中学からずっと知ってる友達やからな。それが今だにこだわってるとは、相当な喧嘩別れやったんやろう。
後にU本人から「身体は若干不自由になったが何とか生き延びてると」連絡があった。
2月に大学時代の友人や最初の職場の人等が来て、モラ夫の「良い面」を思い出したことは既に伝えた。確かに奴には「良い面」もあった。
しかし、2000年頃からモラハラ度がUPし、癌になってからはそれが指数関数的に上昇していったことは既にお伝えした。
実際、最後の2年ぐらいはもう「人格崩壊」と言っていいほど、全面的にモラハラ男に成り下がっていた。その中学時代の友人に会うた時期は、完全に人格崩壊のモラハラ男やった。何を言うたのか、どんな態度を取ったのかは定かではないが、その「喧嘩別れ」というのも相当激烈なものになったに違いない。
癌闘病中に私が一番恐れてたことは1.「脳転移」、2.「骨転移」
いずれの転移もなかったことは幸いやった。
しかし、もっと長く闘病生活を続けてたら、この恐るべき転移も起こってたかもしれん。
入院中はビリルビン値が漸増(最後は20に到達)してたんで、これはアンモニア数値も上がってるんやろうと思い、医者にアンモニア数値も検査してくれと頼んでた。
「アンモニア数値はそれほど上がってはいない」と医者は言うてたが、私の感じとしてはやっぱりアンモニアが脳に影響してたとしか思えん。これが「人格崩壊」の一要因やったと私は思てる。
さて、モラ夫の闘病生活中、数々のモラハラ攻撃があったが、
それらについて今後徐々にお伝えしていこうと思う。