現在、某企業にキャリア教育のプログラムを提案する得難い機会に恵まれ、毎日「キャリア」という言葉と向き合っている。
皆様が「キャリア」という言葉を聞いたとき想像するものは何であろうか?
キャリア官僚などのエリートを想像する方、また日本語に置き換えた経歴、職業といった言葉が頭に浮かぶ方など様々な捉え方があると思う。
実は、キャリアという言葉はアメリカで生まれた概念で、1953年にアメリカの心理学者superのキャリア発達理論など一連の研究によって「キャリアとは生涯において個人が果たす一連の役割、およびその役割の組み合わせである」と定義されている。
上記を少し古代の解釈で捉えると、キャリアとは職業生活に限定したものではなく、人間の生涯に視点を置いた生き方や社会的役割との関連で捉えており、経験の累積のことである、となる。
つまり、キャリアとは「人生における生き様」のことであり、それを教育という側面から支援するのがキャリア教育といえよう。今の時代、いや、どのような時代でも「生き抜くことができる力」を支援するということである。
以上、キャリアの概観を述べてきたが、皆様はきっと「では、なぜキャリア教育などが必要か」と思われるであろう。機会があれば纏めても良いが、一般論であればググったら良いので気になった方は文科省と経産省で「キャリア教育」と調べてみてほしい。両省庁の視点を見てみれば、様々な側面からキャリア教育が求められていることがはっきりと見える。
上述したような一連のことを聞くと、「なんだ、自己啓発の類いか」などの感想を持たれるかもしれない。しかし、自己啓発類の多くは成功者の主観的な「オレの教育論」によって展開をされているものではないか。もちろん、多くの自己啓発の類いを否定するつもりはないし、成功者の暗黙知を表出化することは大変意義のあることであると思う。しかし、「オレの教育論」は汎用性がないのも事実であり、何ら科学的根拠がある訳ではなく、一般化しにくいことは事実であろう。ここで必要なのが、できるだけ一般化された、先人達が科学的に生み出した理論をベースとしたキャリア教育の開発である。古代が提案を試みたいのがそれである。
最近、目を真っ赤にさせながら知識を集め、提案する先に誰がいるのか、誰の役に立てるのかを想いながら思考を巡らせている。付け焼き刃ではろくなものはできないであろう。ただ、誰かを想い、誰かの役に立てるかもしれないモノに自らの情熱を注げるチャンスをいただけている。これだけで、何か、何か、嬉しく幸せなのであります。
皆様が「キャリア」という言葉を聞いたとき想像するものは何であろうか?
キャリア官僚などのエリートを想像する方、また日本語に置き換えた経歴、職業といった言葉が頭に浮かぶ方など様々な捉え方があると思う。
実は、キャリアという言葉はアメリカで生まれた概念で、1953年にアメリカの心理学者superのキャリア発達理論など一連の研究によって「キャリアとは生涯において個人が果たす一連の役割、およびその役割の組み合わせである」と定義されている。
上記を少し古代の解釈で捉えると、キャリアとは職業生活に限定したものではなく、人間の生涯に視点を置いた生き方や社会的役割との関連で捉えており、経験の累積のことである、となる。
つまり、キャリアとは「人生における生き様」のことであり、それを教育という側面から支援するのがキャリア教育といえよう。今の時代、いや、どのような時代でも「生き抜くことができる力」を支援するということである。
以上、キャリアの概観を述べてきたが、皆様はきっと「では、なぜキャリア教育などが必要か」と思われるであろう。機会があれば纏めても良いが、一般論であればググったら良いので気になった方は文科省と経産省で「キャリア教育」と調べてみてほしい。両省庁の視点を見てみれば、様々な側面からキャリア教育が求められていることがはっきりと見える。
上述したような一連のことを聞くと、「なんだ、自己啓発の類いか」などの感想を持たれるかもしれない。しかし、自己啓発類の多くは成功者の主観的な「オレの教育論」によって展開をされているものではないか。もちろん、多くの自己啓発の類いを否定するつもりはないし、成功者の暗黙知を表出化することは大変意義のあることであると思う。しかし、「オレの教育論」は汎用性がないのも事実であり、何ら科学的根拠がある訳ではなく、一般化しにくいことは事実であろう。ここで必要なのが、できるだけ一般化された、先人達が科学的に生み出した理論をベースとしたキャリア教育の開発である。古代が提案を試みたいのがそれである。
最近、目を真っ赤にさせながら知識を集め、提案する先に誰がいるのか、誰の役に立てるのかを想いながら思考を巡らせている。付け焼き刃ではろくなものはできないであろう。ただ、誰かを想い、誰かの役に立てるかもしれないモノに自らの情熱を注げるチャンスをいただけている。これだけで、何か、何か、嬉しく幸せなのであります。