以下、「知識創造企業」by野中郁次郎・竹中弘高、「身体かされた心」byフランシスコ・ヴァレラを古代が加筆。
暗黙知と経験値とは
-「できるのに説明できない」を「科学的」に扱う-
「暗黙知」とは、「言葉で説明できない知識」である。暗黙知と対比されるのは「形式知」であり、これは言葉で説明できる知識である。例えば東京駅から勝どき駅まで公共交通機関を乗りついていく方法とか、マクドナルドのマニュアルなどは形式知である。
一方、暗黙知は「できるのに説明できない」、「分かっているのにうまく言えない」知識である。例えば名医を考えてみよう。優れた内科医は聴診器を胸に当てて患者の体の中の音を聴くだけで、かなりの程度の症状を判断できる。どのような音の違いを聴き分けているのか、言葉では説明することは難しい。次に、いつも異性から好かれるモテモテの女性(小悪魔的な)を考えてみよう。どのような振る舞いや雰囲気が異性をメロメロにしていくのか。これも簡単には説明できない。マイケル・ポラニーは、言葉では説明できないが、理解して使っている知識があることに気づき、「暗黙知」と名付けた。
暗黙知は、我々が経験を通じて獲得した知識である。そのため、「経験値」とも言い換えられる。では経験値とは何なのか、なぜ言葉では説明できないのだろうか?
経験知の「知」は、形式知の「知」とは異なっている。経験知とは、我々の体験と密接に結びついている。例えば、ボイラーのあちらこちらをハンマーでたたき、その時の音の違いで故障を診断できる人がいる。ハンマーで叩いてから診断結果が出るまでに論理学の三段論法のような規則と事実を積み重ねていく推論を経ることなく、瞬時に答えはでる。
経験値とは、経験の良質な部分がいわば結晶化したものであり、形式知を経由しないで、それ自身で答えを出すことができる。いわば、独立した「知」の様式である。
では、「経験知」は「科学的」に扱えるのだろうか?経験を科学の基礎に据えるアプローチは、西洋では「現象学」としてフッサールによって始められ、最近ではヴェレラらの認知科学者によって新たな取り組みがなされている。新しい着眼点は、経験知をすでに体得しているコーチが果たす役割である。従来の現象学では、個人の体験にのみ注目していたが、初心者が経験知を獲得するには、習得過程に付き添って指導し続けるコーチの存在が不可欠である。経験知はいかにして人から人へと伝えられていくのか?この問題が今、最も重要である。

出所:「知識創造企業」by野中郁次郎・竹中弘高、「身体化された心」byフランシスコ・ヴァレラ
知識創造企業/野中 郁次郎

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「暗黙知」とは、「言葉で説明できない知識」である。暗黙知と対比されるのは「形式知」であり、これは言葉で説明できる知識である。例えば東京駅から勝どき駅まで公共交通機関を乗りついていく方法とか、マクドナルドのマニュアルなどは形式知である。
一方、暗黙知は「できるのに説明できない」、「分かっているのにうまく言えない」知識である。例えば名医を考えてみよう。優れた内科医は聴診器を胸に当てて患者の体の中の音を聴くだけで、かなりの程度の症状を判断できる。どのような音の違いを聴き分けているのか、言葉では説明することは難しい。次に、いつも異性から好かれるモテモテの女性(小悪魔的な)を考えてみよう。どのような振る舞いや雰囲気が異性をメロメロにしていくのか。これも簡単には説明できない。マイケル・ポラニーは、言葉では説明できないが、理解して使っている知識があることに気づき、「暗黙知」と名付けた。
暗黙知は、我々が経験を通じて獲得した知識である。そのため、「経験値」とも言い換えられる。では経験値とは何なのか、なぜ言葉では説明できないのだろうか?
経験知の「知」は、形式知の「知」とは異なっている。経験知とは、我々の体験と密接に結びついている。例えば、ボイラーのあちらこちらをハンマーでたたき、その時の音の違いで故障を診断できる人がいる。ハンマーで叩いてから診断結果が出るまでに論理学の三段論法のような規則と事実を積み重ねていく推論を経ることなく、瞬時に答えはでる。
経験値とは、経験の良質な部分がいわば結晶化したものであり、形式知を経由しないで、それ自身で答えを出すことができる。いわば、独立した「知」の様式である。
では、「経験知」は「科学的」に扱えるのだろうか?経験を科学の基礎に据えるアプローチは、西洋では「現象学」としてフッサールによって始められ、最近ではヴェレラらの認知科学者によって新たな取り組みがなされている。新しい着眼点は、経験知をすでに体得しているコーチが果たす役割である。従来の現象学では、個人の体験にのみ注目していたが、初心者が経験知を獲得するには、習得過程に付き添って指導し続けるコーチの存在が不可欠である。経験知はいかにして人から人へと伝えられていくのか?この問題が今、最も重要である。

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