2005年 4月25日に
兵庫県尼崎市で起きた

JR福知山線脱線事故から
17年が経過しました。

乗客と運転士 合わせて107名が
お亡くなりになりました。

(当初は原因が、事故車両の 
運転士の運転ミスいう声が多く
106名とされていましたが、 
運転士による速度超過以外にも
ATS自動列車停止装置の不備
日勤教育などの劣悪な労働環境 
などの原因が加味され  
107名とされています。)



私の大切な友達も、悲しいことに、
この列車に乗っていました悲しい


それも、原型を留めない程
大破していたという2両目に
乗車していました。


男性は、ポケットに財布などを
入れる方が多いので、 
割と身元もわかりやすいですが、
女性は、バッグに入れているので、
身元がわかるまで時間がかかっていました。


事故当時、28歳だった私。
そんな大きな事故に身近な人が巻き込まれていたなんて、未熟過ぎて想像もつきませんでした。

でも、いくら友達に電話しても繋がらない。
メールを送っても、返信が無い。

身元がわかった人から、
テレビのテロップで
名前と年齢が流れるのを見ながら、
心がザワザワしていました。

友達も、巻き込まれてたんじゃないのかと
不安はよぎりましたが、

「もしかして⁉︎いや、まさか⁉︎あり得ない‼︎」
そんな風に、考えていました。

友達のお母さんから、亡くなったとの
連絡がありました。

大切な娘を失ったのに
取り乱すこともなく伝えてくれた
彼女のお母さんの気丈さは、
未だに、忘れられません。



お互いに、美容師を目指して入った
専門学校で知り合った友達です。

一緒に夢を語り、励まし合い
助け合い毎日一緒にいました。


突然、会えなくなりました。
もう会えないという、辛さ。
会えないと思えば思うほど、
会いたくなり、眠れなくなり、
目玉が飛び出るんじゃないかと
思うほど、泣きましたショボーン


私が、ずっと使い続けている
メイクポーチです。
ダウン




GUCCIの刻印も外れ、

隅々まで、ほつれています。


見た人には、

「何それ!?ボロボロやん!!

「どれだけ使ってるん!?ヒドイなアセアセ

と、驚かれますニコニコ


このポーチは、

私が25歳のお誕生日に

亡くなった友達から

プレゼントしてもらった物ですおねがい


彼女の経済事情も、

すべてわかっていました。

アルバイトを頑張ったお給料で、

すごく奮発してくれたことも

わかっていました。


2度と一緒に、

お誕生日を祝い合うことは

出来ませんショボーン



だからこそ、誰にどう見られようとも、

私にとっては、今でも色褪せない

素敵なポーチですキラキラ



私を立ち直らせてくれたのは、

「人が生きていくのに、

事故や病気は避けられない事やで。」

という言葉です。


外に出ないでいつまでも、

グズグズと泣き続けている私に、

美容師の師匠から来たメールの一言。


若すぎて、その時は、

言葉の意味にピンともきませんでした。


私の師匠は、男性です。

普段は、とても厳しく言葉足らずな人です。


あまり、感情を表に出さない師匠の、


私に立ち直ってもらいたい。

前向きな気持ちになってほしい。


その思いだけが、私の心に届き

もう1度、立ち上がることが出来ましたおねがい





今日は、おセンチなチンチクリン看板持ち


どうしても 

この事を書きたかったのです悲しい


私が今でも親友だと思っている

亡くなった友達のためにおねがい



最後まで読んで頂き、

本当にありがとうございました泣き笑い