喪失。
喪失感。
その圧倒的な感覚って、
いきなり日常のなかでやってくる。。
外へ出ようとくつをはいた時、
バスに乗って席に座った時、
買い物のお金を払う為に列に並んだ時。。
その人に全く関係ない事をしていても、
それはふいをつくようにやってくる。。
こころが止まる。
深い深い、闇の中に落ち込むように、
その人の事を思う。
なににも関連づけなくても、
それは理由なくクセのように時折、襲いかかって来る。
もういないんだな。
世界中どこを捜してもいないんだな。
でもいる気がする。
亡くなった姿を見てても、お葬式が済んでも、
まだ否定してるのかもしれない。
でも、もういない。
どこにもいない。
今日、朝のワイドショーで、あの電車の事故でお友達を亡くした、
大学生の女の子が泣きながら言っていた。
『もう1回、会いたい...』
大事な誰かを失った者のココロの中には、
その言葉がぎゅっと圧縮封印されている。
それをクチに出したら、ダメになりそうで。
押しつぶされそうで。
straycatsさんのブログに、
>日常生活の中で時々、心が痛む。
という言葉から始まる数行に、その気持ちが込められていて、
そうだな、あるな。。そんな感じだなと思いました。
ブログでは戦争の事をお書きになられていて、それもとても考えさせられました。
人を失う悲しみは日常的に起きて、去って、また波のようにくり返しています。
大切な人を失った者たちは、失った瞬間から、
膨大な思い出と、果てしない喪失感にさいなまれながら、
それをひとつひとつ整理しなければならないという、
神からいきなり手渡された、途方もない仕事を始める。。。
そんな感じがします。