久しぶりの履修振り返り。
今回は2015年度の前期週末スクーリングで履修した「文化人類学」についてです。
【文化人類学】
前期週末:C(2015年7月)
今考えればなぜスクーリングで習得したのかよく分からない科目です。
おそらく1年生で何から始めたらいいのかよく分からない時期かつ1年生のため履修できる科目が限定されていた中で、なんとなく予習が不要そうなもの、ということで選んだんだと思います。多分(笑)。
とはいえ、大学生活で初めてのスクーリング授業で大学の教室に入ったのもこれが最初だったと思います。
記憶では教室の空調の細かいコントロールができず、ものすごく暑かったり逆にものすごく寒かったりで、授業の内容よりもそっちの方が記憶に残っています。
授業の内容はどんなんだったっけな、と思いWebシラバスを覗いてみたところ2015年度分は見ることができませんでした。
2019年の冬スクでの中島先生の文化人類学の内容が近かったのでそこから記憶を辿ってみます。
文化人類学(冬期スクーリング)
中島 成久
【授業の概要と目的(何を学ぶか) / Outline and objectives】
コモンズの比較研究というテーマで、インドネシアにおける共有地権と日本(屋久島)における入会権の比較を行い、コモンズとは何か、その何が現在問題なのかを検討する。
【到達目標 / Goal】
コモンズ論の観点から、インドネシアにおけるアブラヤシ農園開発にともなう土地紛争の問題を分析し、インドネシアにおける森林破壊、先住民論争、土地権などについて学び、そこで得られた知見を屋久島における入会権裁判の今日的意義とを比較検討する。
【授業計画 / Schedule】
回 / No.
テーマ / Theme
内容 / Contents
第1回
インドネシアにおけるコモンズ①
アブラヤシ農園開発の歴史と現状
第2回
インドネシアにおけるコモンズ②
インドネシアにおける土地権をめぐる歴史と現状
第3回
インドネシアにおけるコモンズ③
アブラヤシ開発とインドネシアにおける先住民族①
第4回
インドネシアにおけるコモンズ④
アブラヤシ開発とインドネシアにおける先住民族②
第5回
インドネシアにおけるコモンズ⑤
アブラヤシ開発とインドネシアにおける先住民族③
第6回
インドネシアにおけるコモンズ⑥
アブラヤシ開発とミナンカバウ社会の共有地権①
第7回
インドネシアにおけるコモンズ⑦
アブラヤシ開発とミナンカバウ社会の共有地権②
第8回
インドネシアにおけるコモンズ⑧
国立公園の資源管理と紛争①
第9回
インドネシアにおけるコモンズ⑨
国立公園の資源管理と紛争②
第10回
屋久島におけるコモンズ①
屋久スギ伐採の歴史と国有林下げ戻し裁判
第11回
屋久島におけるコモンズ②
世界遺産登録後の屋久島
第12回
成績評価
授業内試験
うん、確かにこんな内容でした。
インドネシアの先住民族の話とか屋久島の歴史の話を聞いた覚えがあります。
先住民族の話はアイヌ民族の話とかも出てきていたような。
少数派民族がどのように多数派に支配されてきたかの歴史を実際のケースを見て学び、少数派の文化や権利をいかに守るかみたいなのがテーマだったような気がします。
取り上げられているテーマについては全て中島先生が実際に現地に取材されており、それに関して執筆した本がテキストになっていました。
初日はまさかのテキスト未入手でのスクーリング参加だったので、後日急いでAmazonで新品の本を購入しました。
今思えば早めに中古本でも手配しておけばよかったです。
授業はレジュメや中島先生執筆のテキストをベースに進められるものもあれば、DVDを見たりする回もありました。
後者のDVD視聴の授業は空調の不調もあり部屋も暗くしていたのでとにかく眠かった。
そんなこんなで、まぁゆるゆると授業をこなしていき、授業の内容的も難しいこともないから試験も余裕でしょ、と思っていました。
それが間違いでした。
そして迎える最終日の試験。
「授業で取り上げた3つのテーマについてそれぞれ***字程度で記述しなさい」というような試験問題だったと思います。
自分で取ったノートやテキストは参照可だったような。
しかしそれぞれ500文字程度という指定だった気がするのですが、大学1年生でまともなリポートも書いたことないのにいきなりの記述問題にぶち当たり、試験当日はとにかく文字が書けない。進まない。
結局3問あるうちの2問をそこそこ書いたところで時間切れ。
記述問題の答案を書くのに時間がかかるのに加え、試験というものが久しぶりだったので解答ペースを意識することを忘れてしまっておりました。
試験前は「余裕っしょ」とか思っていたのが馬鹿馬鹿しく思えるぐらい、試験後は気分が撃沈してました(笑)
単位は落としたかな・・と半ば諦めていてしばらくしたころ、自宅のポストに法政大学から試験結果の通知書が届いていました。
結果はCでなんとか合格でした。
スクーリングじゃなかったら絶対に落としていたと思います。
(その頃はCampusmateで成績情報を確認するということをしていなかったのでハガキで結果が判明という状況でした)
ハガキを見て自宅で妻にスクーリングの単位が取れたことを報告しようとするも、なんとその日は第一子の誕生の日。
妻の陣痛の波の頃合いを見て陣痛タクシーを呼び産婦人科へ行き、なんとか無事第一子がこの世に爆誕しその日から私は父になりました。
そして2015年度の単位修得は以上で終了です。
つまりその前に単位修得試験で受けた簿記1・2の4単位と合わせて、初年度で習得した単位は6単位だけでした。
卒業に124単位が必要で1年間で6単位。
このペースだと卒業まで20年かかる・・この時は卒業がとても高い山の頂上にあるように感じていました。
本当に卒業できるのか・・と不安になり、子供も生まれたので途中で諦めてもおかしくないようなマインドだったかもしれません。
結果、卒業所要単位を満たすことができたのでこの時諦めずに続けておいて本当に良かったと思います。