今日妻と喋ってて改めて気づいたこと


自分の中に「ひねくれた考え方する自分」と「一般的な考え方する自分」が存在する



いつもこの2人が言い合いしている

それを中立の自分が見ているようなイメージ

その2人が考え方の主導権を奪い合ってる感じ



たとえば、誰かから褒められた時に

「そんなん言ってるけどほんまはどう思ってるんかわからんで」と考えてるのがひねくれ君

「素直に喜んだらいい」って考えてるのがいっぱん君



で、どっちをとるかで、言い合いになるけど、だいたいいつもひねくれ君がいっぱん君を言い負かす

論破する

そうなると素直に喜べなくて




ひねくれ君に勝つほどいっぱん君強くないから


で、自分の心?感情?はいっぱん君と繋がってるみたいで、なんかモヤモヤするんです




そんなひねくれ君やけど、ひねくれ君のことは嫌いじゃない

おもしろいときだってあるし

周りの人なら考えもつかないようなことを考えつくことがあるから

他の人が持っていないものの見方をできるやつだから

それってなんか嬉しかったりするんです




ひねくれ君のこと嫌いじゃないけど、好きじゃない

でも、いなくなると寂しい

自分じゃなくなるような気がするから



いっぱん君の考え方ができて納得できたらもっと生きやすいのにとつくづく思う


折り合いをつけるのがすごく苦手

「それでもいいやん」がなかなかできない

やるならbetterじゃくてbestを目指しちゃう


折り合いをつけられるように変わっていきたい

変わり方あるのかな?


あと、ひねくれ君を飼い慣らさないと

いっぱん君の味方をしよう

いっぱん君を強くしよう





自分の中の2人の自分

ひねくれ君といっぱん君

生きにくいひねくれ君と、生きやすいいっぱん君

どっちも自分に違いない


ひねくれ君、仲良くしようよ





期待せず、焦らず、気張らず、慌てず、ゆっくりいきましょう。 これを読んでくれている今が、みなさんの気持ちいい“今”でありますように。