毎年書いてきたことだけど、

11月の中盤をすぎると、気分の落ち込みや、

躁状態になったり、

つまり躁鬱なのだけど、

心も身体も、とても不安定になります。


仕事以外には出来るだけ人に会わないように。

あたりが強くなって、人を不愉快にさせたり、

逆にぼーっとしたりして迷惑かけてしまうので。


ブログ以外のsnsにも仕事以外のことはアップしなくなります。心に負荷をかけたくないので。


とは言っても人に会わないわけにいかないので、無理をする月でもあります。

当然ながら、大学や高校の講義もキツいです。


気温も下がって行き、身体の調整も年々できなくなっています。


何より11月という響きを聞くと、妻がくも膜下出血で倒れた日の記憶が蘇ってきます。 



1997年11月28日は、妻が倒れ、私達家族の人生が一変した日です。


命を亡くした12月11日の命日までの13日間は、毎年喪に伏す期間。


いま、この文章を書いているのは11月17日。

26年前の17日は、家族4人で温泉に行っている写真が残っています。


楽しいはずの時間だけど、何かしら不穏な空気感が漂っている写真は、この先の運命を暗示しているように怖く感じます。


その写真の時間のように、28日までの過去の日々、

私の記憶がカウントダウンされて行きます。


26年経った今でもその症状が出るのだから、

一時期は仕事ができないくらいに落ち込んでしまい、11月中盤から月末までは仕事をできない、

だから受けない半月にしていました。

それを理解してくれている昔からのクライアントや仕事仲間もいて、あえて連絡を取らないようにしてくれてたりもします。


落ち込み、そんなの自分の思い込みだと思うようにした時もあったのだけど、やはり脳裏に刻まれてるらしく、その症状は出てきます。


多分、周りから見ると何も変わりないように見えると思います。

しかし、仕事が出来るくらいに回復してきたのは、東日本大震災の後だから12年ほど前。

しかし時間が経っても、夜な夜な襲われる恐怖感。

夜23時半過ぎに倒れた妻を思い出し、身体中に震えがくる日々。

そんな時間を思い出したくないために、

この時期は22時という早い時間に寝るようにしています。



11月は特別な月。

自分をとことん追い込み、仕事をさせ、

また逆に労わらなければならない微妙な月です。


妻を亡くし、年老いてきたお互いの家の両親の面倒を1人でみるというのは、また、自分を不安の中に陥れる原因となっていきました。


そんな中、娘達が成長し、私の負担は軽減していき、苦しみの時間も減りました。

それは妻から預かった娘達の自立と自律を成し遂げたという安心感。

良く頑張ったなという、自分への褒め言葉からです。

 


だけど、未だにそのトラウマは消えてないと実感します。

心ここにあらずなので、大好きな読書に集中することが出来なかったたり、

怪我をしたり、車をぶつけたり、お酒を飲み過ぎたり。


そして今は鬱状態の母が心配です。

身体が動かなくなってきて、記憶も曖昧、やる気も失せてきて、目が離せない感じ。

間も無く90歳なのでそれもやむを得ないこと。


そんな11月なのに、負担は増えるばかりです。


今年、還暦を迎えるにあたり、

大学や高校、中学でも還暦同窓会が開催されます。

その中で、私は高校では本会の同窓会理事、

中学では幹事長を承っていますが、

11月終盤に同窓会開催が決まりました。


中学は妻と同じ学校の同級生。

そこからの付き合いだったので、

同級生のほとんどが妻のことを知っています。


私は動画制作することになり、妻の中学時代の写真をたくさん観ることになります。



何人もの同級生から送られてきた写真には、

私の知らない妻の顔がたくさんありました。



初恋だった相手。

その後に結婚し、2人の娘を授かり、

幸せの絶頂の中で逝ってしまった妻。


写真は私の記憶を呼び覚まし、心に良くない影響を及ぼしています。

同級生にはわからない葛藤の中、ほとんどの段取りをこなしてきた自分は褒めてあげたいけど、

200人の同級生からのメッセージは、楽しく、そして苦しい日々を思い出させてしまいました。




11月25日、妻が倒れた28日の三日前となる日に同窓会は行われます。


そして私は幹事長だけでなく、

司会進行の重役も担っています。

特に負担もおぼえずにできる程度の司会なのだけど、この時期には不安があります。


なんで自分が?それも11月に。

という気持ちは隠しようが無いけど、

一番苦労したあなたに司会をやってほしいという同級生達。

頼まれたら嫌と言えない性格。



同窓会の席で、妻の話しをするべきなのかどうなのか。

本来なら一緒に同窓会で還暦を祝っていたはずの妻のことを聞きたい同級生はたくさんいます。


そして倒れた妻を救急車で運んだときの担当医も中学の同級生で、今回は参加します。

彼には妻を看取ってもらっただけで無く、義妹も見送ってもらいました。


妻だけでなく、同級生280人の中で不運にも命を失ってしまった同級生は10人ほどいます。

そのみんなに対しての記憶も私にはあります。


想いも悲しみも深い。



11月終盤のこの日を、私はしっかり進行できるのか?

みんなに楽しい時間を供給できるのか?

その前に自分の心は大丈夫なのか?

インフルとかコロナにも気をつけないと。

自分がいなくなったら、母は?家は?

仕事も自分がいなければ回らない物件ばかりだし、

ほぼ1人で回してきた同窓会もどうなってしまう?


まさに「どうする家康」状態。


いろんな不安はあるのだけど、

今は殻にこもっても自分の心を守ること。

誰も守ってくれないのは妻を失ってからずっと変わらない。


出来るか出来ないかじゃなく、やるかやらないか。

自分はその環境の中で全力を尽くすしかない。

そんな11月終盤です。




※富士山をバックに気晴らしの一枚。

こんな時間が必要です。