今日は11月下旬に開催する中学の同窓会の実行委員会が行われました。
7クラスの各2人ずつの幹事と実行委員長の合計15人が集まり、話し合いました。
幹事長の私は進行役。
いろんな意見の取りまとめを行いました。
大変だったのは、この日までに200人分の宛名印刷や、チラシ制作、封筒や切手、返信ハガキそれぞれ200人分の準備などなど。
ギリギリ、なんとか今日に間に合い、各クラス幹事へ分配しました。
少し肩の荷が降りた感じです。
200人を超える住所録には、いくつかの✖️が記されています。亡くなった同級生です。
もちろん私の妻の名前もあり、そこに✖️が記されていることになんとも寂しさを覚えました。
会議は順調に進む中で、恩師への連絡をどうするか?とい話しになり、
各クラス幹事から当時の担任に電話し、確認を取ってから配布物を郵送するのが良かろうということになりました。
会議終了後、私は当時の担任に電話をしました。
御年86歳の先生は、足腰耳目が悪くなり、そういう場に出向くのは難しいとの話しでした。
45年ぶりに聴く恩師の声は、衰えたとはいえ、懐かしさや優しさは当時を思いだします。
そんな中で、私から先生に御礼を伝えたかったひとつの話しをすることができました。
先生は美術担当で、中学3年生の私には、将来を決めるような出来事がありました。
それは、先生が私の描いた絵を褒めてくれて、美術展への出品を勧めてくれたこと。
それが結構上の賞をもらいました。
その時の褒め言葉が、私の美大進学へ大きな影響を与え、そして今はデザイナーとして独り立ちしていることなどなど。
そんな私の話しを聴きながら、電話の向こうの先生はちょっと涙ぐんでる感じがしました。
同級生の妻のことも知っている先生は、良かったな良かったなとあらためて褒めてくれました。
同窓会の幹事長、結構な作業量があります。
これからは中学時代の写真をみんなから集めて動画に編集。
会場で流す映像と、
それをDVDに焼いて記念品として、みんなに配布する準備。
さらにイベント企画をできる私は台本制作の作業もあります。
しかし、今日の電話のような時間がいただけるなら、それも悪くないなと思った日でした。