自民党の「臓器移植を考える議員連盟」は、

脳死下での臓器提供数を増やすための要望書を厚労相に提出したとのこと。


脳死の可能性がある患者の情報について、医療機関と日本臓器移植ネットワークが早期に共有する報告制度の創設などを求めました。現行の制度では、脳死の可能性がある患者が出た際、家族に臓器提供を選択肢として示すかは現場の医師が判断するとされ、


医療機関の体制の不備や医師の心理的負担などから、選択肢が示されない例も少なくない。




26年前になるけど、私の妻も脳死宣告され、

そこから2週間ほど心臓が動いてくれて、

その間に多くの親戚や友人、同僚と、意識は無いまでも、お別れをすることができました。


それはとても尊い時間で、

その2週間で妻との別れを覚悟することができました。


そして脳死宣告をしたのが、妻と私の中学時代の同級生だった医師。

彼にとっても辛い別れだったと、10年以上経過した後に、彼の妹さんから聴きました。

(以前のブログを参照してください)



そしてそんな立場であった私が、この記事を読んで思うこと。


それはとてもとても厳しい選択なのだけど、

あの時その決断が出来たとも思えないのだけど。


26年経った今では、もしかしたら妻の臓器で助けられた人がいたなら、それは彼女の生きた証であったのかもしれないなと思えるようになりました。


医療関係にいた妻。

もしあの時代に意思表示カードがあって、

人の命をとても大切におもっいた妻が、

臓器提供を望んでいたのならと思うと、

あの時の葛藤は、また一層深く自分に突き刺さっていただろうな。


あの時代、同級生の医師は、

私に臓器提供の話しをすることは出来なかった。


それは私にとってはありがたいことだったけど、

もし妻の意思が臓器提供にあったならと思うと、

今でも怖くなります。


そして私は妻の妹も脳死判定を受けて亡くしています。

この辛さは言葉には出来ない。



しかしそれで救われる命があるのなら。

今では知っている、臓器を待っている人たちのことも。

何億円もかかるのに、アメリカに行ってまで移植手術を受けようとしている人たちのことも。


今でも判断出来ない。


重たい重たい話しです。