難しいと思ってます。


育てるというのにもいろいろあって、社会人の後輩を教えるのとは違う、学校教育という話しです。


大学生を教え出してから6年目になるけど、

大学となると、ある程度自分の目標を定めた学生に教えることになるので、

成長過程とかはあまり考える必要がなく、

知識や技術を教えることで良かったのだけど、


昨年から教えている高校生はそういう訳にはいきません。


まだまだ成長途中にある生徒達には、

まず何で勉強するのか?

何でこういうことやらなければならないのか?から入らなければならず、

その他、生活指導や授業態度などなどいろんなことに踏みこまざるおえません。


その苦労は大学の比ではなく、

教える、育てる難しさを実感しています。


そして今年は新入生の一年生から教えることになり

、中学卒業したばかりの彼等はまさに子供です。


難しいことをわかりやすく教えてきた自分には、

簡単なことを当たり前に理解させなければならない授業は未経験で、さらに頭を悩ませています。

どうやって育てていくのか。


今年三年生になった生徒の中に、明らかに多動性障害、ADHDの子がいて、その振る舞いから、周りから認められてこなかったのだろうと思われます。


しかし私は他に勉強が優秀な子よりも、この子の方にクリエイティブな能力があると思っています。


それは自分の作った作品を多くの人に見てもらいたいという欲求が半端なくあり、そのために作品創りに没頭できるからです。


きっとこの子は上手く育てて、環境に恵まれていけば、才能を開花することができるのかもしれない。

しかし認められなければ埋もれてしまうことは明白です。


今夜も同僚のデザインの先生と、この子、そしてすべての生徒に対しての指導方法を、22時頃2時間近く長時間に渡ってオンラインで話し合いました。

ゴールデンウィーク入るので、本来なら呑みながら話したいねと思ったけど、そういう余裕もなく。


お互いに非常勤講師なので、普段は普通にデザイナーとして仕事をこなしていて、いっぱいいっぱい。

でも先輩として後進を育てる義務があるのは当たり前のこと。

私達が先輩から学んだのと同様に伝えていかなければね。

しかし高校教師、こういう経験はなかなか味わえないよね、

これも財産だと話し合っています。


花開くかもしれないそのつぼみを今、私たちは預かっている。

しっかりと育てていかなければ、そんな感覚です。


しかし特別視や差別などがあってはならない。

どうやって才能を伸ばせていけるのか?


難しい課題です。