定期検診でかかりつけ医に来ています。
今回は血圧が高いことと、便秘のことも相談しにきました。
月一の検診、薬が減ってきたら来る感じです。
水曜日が1番空いているので、出来るだけ水曜に来るようにしています。
待合室に入ると、さほど人はいないように見えるものの、
表の駐車場には、車内で診察を待ってる人達が多くいます。
多分、コロナかインフルエンザの感染症の方で、
待合室には入らずに車で診察を受けてる感じです。
大学や高校で講義をしているので、実感として多くなってるのは感じていますが、
だからといって対応策はすべてやってるので、
後は野となれ山となれですね。
コロナ禍で感じたことは分断と差別です。
若い人達はほとんど見受けられないけど、
年齢が高い人ほど見られる傾向です。
自分が感染する恐さからでしょうね、
感染した人を、隔離期間が終わっても避ける人を見かけるのですが、
なんだかなって思ってしまいます。
きっとその人達はいつまでもそういう感覚を持ち続けるのでしょうね。
それは人種差別にも繋がる感覚だと思っています。
きっと受け入れる心の広さを持つ人は、
コロナでも人種でも違う宗教やジェンダーも受入れる。
宗教の場合は根本的な思想は置いといて、その人間を受け入れるという意味ですが。
私は日本人一般的な仏教徒であり、神道です。
しかしクリスチャンの考え方や文化に興味があるので、ヨーロッパに行った時には教会を廻ります。
イスラムに関しては、その世界観を理解することは難しいのですが、やはりその文化には興味があるので、調べたりします。
受け入れられるタイプに分類できるのかなと思います。
もちろん隔離期間中の人と会うようなことはしないし、性格的に苦手な人はいますけどね。
人と接する場合、
肌の色や宗教の違い、ジェンダーとか、そんなことはあまり関係なく、とにかく人間性が合うかどうかが一番重要です。
差別と言えば、若い頃、ヨーロッパを旅行中の時に、差別的なことを言われ、侮辱的なことをされた経験があります。
その時は怒りよりも寂しさを感じ、その人間性の浅さにがっかりしました。
狭い世界に生きてる人なんだなって。
そのことがあってから、自分はそういう差別をしないようにと心に決めています。
それは感染症に対しても同じことだと感じています。
自分の人生の中に、そういう考えは不要だと思っています。
自分に必要なものは感謝と愛。
若い頃のその考えを還暦を迎える今も持ち続けています。