いま、死別のいわゆるのコミュニティは、
ブログでもFBでもmixiでも、
海老蔵さんと麻央さん、そしてお姉さんの小林麻耶さんの衝撃が大きく、私たち死別者の心も大きく揺さぶられています。
最後の「愛して...たぶん『る』」という満ち足りた言葉は、
狂おしいほどに死別者の心に響いています。
それは死別した人の多くが、愛を途中で奪われてしまっているからです。
続いていくはずのものが、なんらかの理由で奪われた悲しさを背負っています。
ブログを頻繁に更新している海老蔵さんに、非難のコメントもあったとか。
死別を経験した人には、その気持ちが痛いほどわかります。
一連の葬儀から事務的な手続き、そして子育て、仕事。
悲しさ苦しさは常に心に暗い影を落として、逃げ場がなくなってしまいます。
ブログが唯一の逃げ場なのかもしれません。
私が死別した20年前にはまだブログというものはなく、ネットでの繋がりは始まったばかりでした。
死別離別関係無しの、「ししゃも」(子持ちししゃも・子持ちシングルという意味)という全国的なグループがあり、私もそこに参加しましたが、やはり死別と離別の意識の差は如何ともし難く、オフ会に2回ほど参加して辞めてしまいました。
その5年後くらいからブログを始め、mixiでは死別コミュニティを作り、現在も続いてる状況です。
もし当時、叫び声を伝える術があったなら、私も叫び声を連発していたと思います。
話しは海老蔵さんに戻ります。
これから、麻央さんの誕生日や子供たちの誕生日、クリスマスや、そして母の日など。
奥様のことを強く想う記念日がたくさん訪れてきます。
その度に喪失感が強くなり、辛さや悲しみも、感情を抑えられない時もくるかもしれません。
そういう私も、今日6月28日は妻の誕生日です。
生きて入れば54歳、だけど私は34歳までの妻しか知りません。
もし生きていたなら、54歳の誕生日は何をおねだりされていたのだろう。
きっと若い頃のように、安いもので誤魔化すことはできなくなってるんだろうな。
それもこれも、ただただ妄想することしかできません。