初めての方は、ぜひ1話目から読んでいただけると嬉しいです

 

美大時代の同級生が集る会があり、東京に宿泊した。

同じクリエイティブの仕事をしている同士、いい刺激をもらっている。

彼等は私と妻の結婚式に出席してくれて、妻のお見舞いにもきてくれた仲間だ。


話しの中で私がPTA会長をやっていることが話題となった。

「父子家庭でただでさえ大変なのに、なんでPTA会長なんかやってるの?」と聞かれた。

「そういえば、最初引き受ける時ってどんなんだったかな?」って思い出しながら話した。

 

 

 

妻の死から5年が経ち、私の心の病も少し落ち着いてきた頃のこと。


私が初めてPTA会長になったのは長女が小学校6年生の時。

 

フジテレビの「ザ・ノンフィクション」で感動したお母様方が私を推薦したのだ。

 

その後、形だけの選挙で選ばれたのだけど、特別な理由があれば当然辞退することもできた。

父子家庭というだけで十分に特別な理由だ。


前PTA会長から選挙で選ばれたことを聞き、少し考えさせてくれと1週間ぐらい時間をもらった。 

 



当時、小学校は統廃合問題を抱えており、行政では隣の小学校との統合の計画があった。

 

 

学校というよりも、地域として反対運動がおこっており、教育委員会や市長を相手にしなければならない。 

PTA会長はその先陣に立つという厳しい状況にあった。

 

責任の重さを考えると、簡単に「いいですよ」と答えられるものではなかった。

 

 

おまけに私はPTSDと不安恐怖症を抱えていた。

 

もう逃げちゃいけない、逃げちゃいけない、逃げちゃいけない・・・私は頭の中で繰り返していた。

 

娘たちも母のいない生活で戦っているのだ。

 

 

3年生の次女、同級生には統廃合されると、1時間の距離を通学することになる子たちがいた。

 

 

3年でも大変なのに、1年生に危険な道路を1時間も歩かせていいのか?

 

 

事故や事件があってからでは遅い・・そう考えた時に恐怖感を憶えた。

 

当時、不安恐怖症という病気を抱えていた私には、

 

その恐怖が大きく被さってきた・・・断ったら何かが起こった時に、自責の念にかられるに違いない。

 

 

 

私は自分の心を防御するためにPTA会長になった。

 

予想通り大変な1年になった。 

市議会で問題にしてもらうために、相当数の市会議員の事務所を訪れた。

自治会長や周辺小学校の会長と連携をとり、署名活動をおこない、数万人の署名を市長に提出した。 

 

何回も「少子化時代の教育について」のセミナーを開催し、保護者の知識を高めた。

 

 

最後には市長との対話に持ち込み、計画の白紙化を求めた。 

(この市長とも後に復興支援において絆を深めることになる)
 

 

1年間の活動の結果、統廃合の計画は白紙に戻った。

 

そして現在は、耐震化の不安があった旧校舎を建て替え、市内でも最新の設備を持つ学校となる。

 

 

PTSDがPTA会長を行うとは、ギャグにもならないが、

 

私はこの活動のおかげで、自分を取り戻していくことになった。

 

 

そしてこの後、長女の中学、次女の中学の時、合計3回のPTA会長を務めることになる。

 

その活動がまた妻との繋がり、絆を発見していくことになる。

 

 

 

 

 

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