初めての方は、ぜひ1話目から読んでいただけると嬉しいです↓
「出逢い編 〜中学時代〜」
人はある時を境に、自分は生きているんじゃなく、生かされているということに気づく時がきます。
死別してる人は特に早く必ず気づくことですね。
人間はいろんな命をいただきながら生きています。
動物や植物や様々な生き物の命の上に私たちの命がある。
いままで自分を生かしてくれていた命に対しても生きる義務を持っています。
それが生きる意味とする人種や宗教も世の中にはあると聞きます。
そして周りの人たちに生かしてもらっている。
生かそうとしてくれている人たちがいる。
死別者である私たちは残された者です。
残された者は、亡くなった人の分まで生きなければならない。
亡くなった人のことを忘れないこと、そして伝えることが義務。
そうすれば亡くなった人はみんなの心に生き続ける。
綺麗事のように聞こえますが、的を得てると思います。
だけど自分の中にいる妻は自分だけの思い出であり、決して人と共有できるものではなく、私だけに見せていた顔。
しかし私の中の妻は残念だけど思い出だけです。
思い出と生きているだけです。
なんで生きているのか?
後追いを考えなかったわけがありません。
子供がいたから死ねなかった?
あの時点で小さな子供を抱えて生きていく決断をする方が勇気のいることでした。
生きる方が辛い時だってある。
子供が生きる意味だと思うえるようになったのは、
もっと先で子供の成長を見届けてからです。
生きる意味。
死別をしていなければ、そこまで深く考えたことでしようか?
死別をしてなければ普通に毎日を生きていたのではないでしょうか。
生きる意味。
それはこれからの自分が作っていくもの。
人生を振り返った時に「自分が生きた意味」がわかればいいのでしょう。
今は思うことがあります。
妻は34歳の寿命を全うした。無念を抱えながらだけど、34歳を精一杯生きた。
しかし34年が彼女の寿命だった。
私は50半ばになるけど何時が寿命なのかわからない。
だけど死ぬまで生きる。
病気に犯されようが自分の寿命を全うする。
それがいままで私を生かしてくれた命達に報いる唯一の方法だから。
私たちは生かされている。
様々な命と心に。
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