4年ぶりの喘息と風邪?
2週間酷かった 熱はまったくない
咳が始まると止まらない
どんなに良いものを飲んでいても
本人の生命力 前に進む力がないと
結果 こんな風になるんだとつくづく
1月久しぶりに母 妹 弟と
母の希望のおもてなし日本一の
八幡屋へ ♨︎
母 嬉しい うれしい
妹 しあわせ しあわせ
弟 最高〜 と
心から楽しんでいる表情がわかる
伴侶は わからない
楽しくない 顔は笑ってる
心は 夫君🍀がいたら 夫君🍀とだったら
追いかけてる
2月は丸峰観光 川音
母と妹 同じく
しあわせ〜 しあわせ〜
母〜この年になっても
こんなに子供達にみてもらえて
世界一のしあわせものだ〜と
夫君🍀が中皮腫になってからの4年間
ほとんど 妹 弟 任せだったから
せめてもの 親への恩返しと
脚の悪い母には最高と
車椅子での移動は 気にかかるようだ
湯船に浸かって
思うことは
夫君🍀〜本当にいなくなった?
伴侶の最高は 夫君🍀と話していた時
伴侶 言葉が
咳が酷く お家に こもっていると
辛く 悲しく 。・°°・(>_<)・°°・。
子供や孫達が来ると(*´꒳`*)
しかし しばらくすると
このお家に ゆったり のんびり
(*´ー`*)
夫君🍀と二人きりになりたいと思う
いつに なるのかな〜
心から楽しい〜
心からしあわせ〜と 思えるのは
そんな中 山口のO先生から電話が入った
「ご主人元気か?」
夫君🍀中皮腫で手術をしてくれた先生
お世話になった
電話の声は とても優しい なんでも話せる本当に救われると
でも
やっぱり
外科のドクター
現場にいたからこそ見えてしまう裏の事情
そんなO先生に あの時はお世話になりましたと心から
でも
先生の主義 手術 放射線治療 化学療法と
3本立て
話しを聞きながら
化学療法だけは絶対やらないと決めていた
結果やっていない
O先生に最期まで自宅で
苦しさも 痛みも 身体の浮腫も
胸水も 腹水もなく
当日の朝迄 お通じも おしっこもあって
眠った様に逝きました
やっていたのは最期まで丸山ワクチンでした
O先生 「そうか 凄いな〜肺の病気なのに
苦しくなく最期まで酸素も使わず ほんまに凄いな〜奥さんがんばったな〜」と労ってくれた
こんな会話をして
夫君🍀は 本当に逝ってしまった
でも 伴侶の心はまだ信じれていない
まだ ・・・・・
ど〜する 伴侶
するとTVで中居君の中継
中居君 目指す山が分からないと
それを 聴いて これ?
伴侶も山 ?
山なんだ
喘息になるただぶら っと
ドライブ
車 大好きでドライブもすきで
でも〜寂しくなる