今日は8時46分のバスに乗らなくてはならなかった。起床した時間は8時10分過ぎだっただろうか。起きた瞬間は少し焦ったが、正直全然間に合う時間だった。さっさと着替えて家を出れば良い。そう思ったとき、母から「寝坊したんなら送ってくよ」と言われた。私は愚かにも、その甘言に甘えてしまった。あんなことになるとさ知らずに…。
私の母は現代的な思考を持ち合わせていない、いわば蛮族だ。社会のルールや暗黙の了解を素知らぬ顔で破るパンク精神の塊のような人だ。世間には常識はあれど倫理観が飛んでいたり、その逆だったり、両方を高いレベルで持ち合わせてる人もいる。母は、両方が綺麗に抜け落ちている、現代社会のモンスター「無敵の人」だ。
母の提案に乗ったは良いが、いつまでたっても出発する気配がない。時刻はすでに9時を回った。痺れを切らし、母に出発はいつだと問えども、曖昧な返事でテレビを見ている。私はこの瞬間、思い知らされた。母は私がどれくらい移動に時間をかけているか、まったく分かっていないのだ。バスもうすでに無く、私の身の上は母の醜く肥えた手の上にあった。
少し前にこんなことがあった。18時からバイトの面接がある、と母に伝えたら「その前に家に帰り、犬の散歩をしなさい。そのあと送って行ってやる。」と言われたので、その通りにした。散歩から帰り、さあいざ行かんと意気込んで母の車に乗って、着いた先は近所のスーパーマーケット。無論バイト先ではない。母に抗議をしたら「時間には間に合わせるから。」と不機嫌そうな顔で返された。結局買い物は長引き、間に合うか否かの瀬戸際にスーパーを出発した。面接先に到着したのは約束の時間の5分前。しかもその店が入ってる場所から一番遠い駐車場に車を停めた。結局面接には遅刻した。その後家に帰り、再抗議をすると母は「ちゃんと時間通り送り届けたのだから、文句は言わないで頂戴。」とのたまう。
このエピソードで分かる通り、母の時間の感覚は世間のそれとはかなり異なるものなのだ。そのことを知っていたのに、私は同じ過ちを犯した。
私は走った。太陽が照らしつける坂道を懸命に走った。足を伸ばし、身体をひたすらに運んだ。そして…
私は講義に遅刻したのだった。最後に残ったのは不愉快に肌を伝う汗と、母からの「間に合った?」のLINEだけであった。