おはようございます!
今日もブログへの訪問
ありがとうございました
昨日に引き続き
今回はうちの
長男の話をさせて頂いています
長男の挫折の話まで
辿り着くためには、
私立小学校でのアレコレ経緯を
お話させて頂きたく、
今回と次回とで、
諸々ご紹介させて頂ければな
と思いますので、よろしければ
お付き合い頂ければ嬉しいです!
うちの長男。
今でこそ真面目で優しくて
頼りがいのある息子ですが
幼少期はそりゃもう
イタズラ好きで大変でした。
イタズラは多岐に及び
家の中にいてなお、びっくりする事は
日々、色々ありました。
また半面頑固な部分もあり、
手を焼いたこともあれば
雷⚡を落としたことは何度あったか?
というほんとに普通の男の子でした
ただ外では、
そのやんちゃぶりをしまいこんだ、
いわゆる内弁慶寄りの傾向
があった子だったんですよね
良く言えば
優しくて
お友達が嫌がることはしない子で
悪く言えば
自分の意見を言えない子でした
今もその傾向は
なくなったわけじゃないですが
小さい頃は
『イヤ!』とか『やめて』とか
否定的な言葉が全く言えなくて
悲しい思いを強いられてきた子でした
例えば幼稚園の運動会での行進中。
列の後ろを歩く子に
(軽くではありますが)
冗談っぽく何度か蹴っ飛ばされても
うつむいて、ぐっと我慢しちゃう
そんな子でした
私はそれ↑、観覧席から
見ていてほんとーに切なかった
また重ねて、体も強い方ではなく
いわゆる虚弱体質で、
よく風邪をひいて熱を出していました
その上、一旦熱が出ると、毎回
なかなか熱がひかないで長びくため、
幼稚園時代は、半分程度の日数しか
登園出来ないような子でした
そんなうちの長男が
所謂普通の公立の小学校に行き
心身ともに健やかにやっていける気が
全くしなかった私
私立の小学校を受験させてみよう!
と唐突に思いついたのが
長男が既に年長さんの頃でした
まぁ簡単にいうと
温室に入れることにしたんです。
親ばかですよね
いずれは世間の荒波🌊に
揉まれるわけですし
いつまでも親が庇護出来るわけがない
ただ初等教育。
色んな意味で幼ない子が集まる小学校
自我のぶつかり合いになりがちな
閉鎖的空間に陥る小学校までは、
いやもしくは中学校までは、
ある程度落ち着いた子が集まる集団にいれたい!
もう少し、自分の意見をもち、
気持ちが強くもてるくらいに
成長するまでは守ってやりたい!
という親の、いえ
私のエゴからの思いつきでした
ただもともと虚弱体質で
普段なら漢方薬まで
飲んでるような子だったうえ、
当時下の子の、年少さんと、
バブバブしてる赤ちゃん👶がいて
幼稚園の他に、更に
お教室なんてものにまでいくような
余裕が、全くもってなかったので
我が家は通信教育の
自宅学習1本で
小学校のお受験にチャレンジしました
その際自宅教材として
我が家はポピーを活用しました
あおどりだったかな?
ほんとーに、それ一本でしたね
自宅学習教材を一緒に取り組むことで
長男と二人きりで共有できる時間
を楽しんでいた部分もあり
そして。
それでダメなら(入学出来ないなら)
入学後もついていけないってことだ!
と割り切っていたので、
割と緩やかに穏やかに、
親子2人、ささやかに対策して
のぞんだ小学校受験でした🏫
受験終了後、
本人に感触を聞いたところ
どうやら半分出来てれば御の字程度
コレは出来たよ!
という問題を教えてくれるものの
どう考えてもいいとこ半数程度かな
唯一私が素晴らしいとおもったのは
全然緊張しないで
行動観察の時間を
過ごせていただろうところでした
こりゃ落ちたな
記念受験になったな。
と半ばあきらめていたところ
まさかの合格!
田舎の私立小学校ということもあり
また運が良かったこともありでしょう
実は下の子が
同じ小学校をお受験した際には
その難易度は爆上がりしてました。
どうやら
都内の私立小学校を意識した、
難易度の高い問題形式へと
うちの子供の学校の受験問題も
シフトチェンジを始めたようでした。
ですから長男が受験した
そのタイミングはちょうどその狭間で
対策が足らなかった長男にとっては、それも運が良かった1つだったのでしょうね
無事合格頂き
入学することになりました🈴
これが我が家の長男の
小学校お受験のすべてです
緩めの小学校受験の体験談でした
書いてる私ですら、
緩さは否めませんが
当時の私にはこれでも
精一杯な対応であり選択でした。
合格頂いたのは
運とご縁だった
としか申しようがありません
そんな田舎の私立小学校とはいえ、
更に都心の人気校ではないといえ、
この経験談にて
ご不快な思いをされた方が
いらっしゃいましたら
心からお詫び申し上げます