後悔(詳述) | 聴神経腫瘍ありのまま闘病記(男性)

聴神経腫瘍ありのまま闘病記(男性)

2017年11月、腫瘍摘出手術(開頭手術)を受けました。
手術は成功。でも本当の闘病は手術後から始まりました。
そんな私の折々の出来事を綴ります。

この記事を書きながら、何度も何度も公開するかやめるか悩みました。

不快に思われる方、ムカつかれる方、気を滅入らせてしまう方、、いらっしゃると思います。

でも…ここで書く内容がブログを書き始めたきっかけであり、かつ、それを乗越える過程を記録に残したいという思いがあることから公開します。

現在のありのままの気持ちです。お察しください。

 

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2017年11月、開頭手術による腫瘍摘出で右側の聴力を完全に失いました。

 

手術前まで両方の耳で普通に音が聴こえていた私にとって、片耳の失聴はボディーブローのように効いてくるストレスです。

それを感じるたびに、強い後悔の念を引き起こされてしまいます。

 

少し遡りながら詳述します。

 

聴神経腫瘍が見つかった時点(2017年1月)のMRI画像での腫瘍は長径12mm、短径5,6mmで、ちょうどひまわりのタネのような小さな腫瘍でした。

しかし経過観察とした半年後(2017年7月)の再検査では、タネの先端(半年前には何もなかった部分)に直径16mmのほぼ円形の腫瘍が写っていました。ちょうどタネの上にお団子を乗せた形です。

そう半年前には何もなかったところに直径16mmもの腫瘍ができていたのです。

聴神経腫瘍は1年で1,2mm程度大きくなると聞いていただけに「もしかして悪性?まじヤバいかも?」と本当に焦りました。

※MRIの画像をお見せできれば一目瞭然なのですけどを手元になく...言葉だけの説明では分かりにくいかもしれませんね。

 

その画像を診た主治医は「大きくなるのが少し早いけど、このサイズならまだ経過観察だね~」などと悠長な診断を言いました。

焦っていた私は「小さいうちに取ってしまいたい」と自ら開頭手術を望みました。主治医は「手術はいつでもできるから...」と言い、一度帰って家族と良く考えた上で改めて診察を受けて話し合うことになりました。

 

家族と一緒に診察に臨んで「手術をすると決めました」と主治医に伝えたところ、主治医は「難しい手術だから説明を聞いて良く考えて」と言った上で、開頭手術自体のリスクと後遺症などの詳細な説明がありました。

その中でもポイントは3つ

 

 ① 発症元のバランス神経(前庭神経)は切除する

   そのため術後はバランスが取り難くなるが慣れるので日常生活で困ることはない。

 ② 聴神経(蝸牛神経)は温存を企図する

   (腫瘍の全摘を希望したので)神経は温存できても術後の聴力は保証できない。

   最悪失聴もあり得るが片方は健聴で残るので日常生活で困ることはない。

 ③ 顔面神経は温存する

   腫瘍を全摘することで術後に恒久的な顔面麻痺が残るようなら全摘はあきらめる。

   可能性は極めて低いが悪性だった場合は麻痺が残るようであっても全摘を優先する。

 ④ (割愛)

   他にもレアなケースの話など諸々説明があった。

 

私も家族も、この3つ+諸々を"納得"して手術することを選択しました。(いや説明を聞く前から手術するに決めていました)

 

手術は成功、腫瘍は良性で全摘し、聴神経と顔面神経は温存できました。

ただし腫瘍が聴神経にベッタリからまっていたため、摘出時に与えたダメージは大きく、聴力の回復は期待できないと主治医から説明を受けました。

 

今、術後の後遺症は主治医の説明通りで、失聴についても健聴側がちゃんと音を聞きとれるので日常生活では困ることはありません。

片耳が失聴したからといって聞こえてくる音量も半分になるということはないし、聴こえてくる方向も相当程度把握できます。

 

ただ、私にとっては、聴こえてくる"音の質"が想像を絶する酷いモノでした。これに気付いたときから後悔が始まっています。

 

●音が立体的でなく平面的に聞こえる(音に奥行が感じられない)

基本的に聞こえてくる音は大きさ(音量)だけになります。発生源が手前なのか奥なのか距離感は音だけでは判断できません。

そのため騒がしい場所(居酒屋とか)では、ありとあらゆる音が強弱だけで重なり、遠くの大きな音に近くの小さな音がかき消されたりして聴き取りに苦労します。

そして何よりもコンサートや映画など音響を駆使した表現の場では、聴こえてくる音に奥行がないので、どんな音も平坦に聴こえて、とても悲しく寂しい気持ちになります。(私は"音"にこだわりをもつタイプではありませんが…それでも明らかに聴こえ方の違いが分かります)

 

●"無音"が"有音"を押さえ込んでしまう

疲れた時や耳鳴りが酷い時は、失聴した側から"無音の世界(=頭の中の音が聴こえない領域)"が頭全体に拡がっていく感覚にとらわれることがあります。

この時は、逆に聴こえている音(健聴側の音)は徐々に遠ざかり小さくなっていきます。(耳元で指を鳴らすと聴こえるので)実際は聴こえなくなっているわけではないのですが、いつか健聴側も失聴して「本当に一切の音が完全に聴こえなくなる世界」に引き込まれるのではないかという不安と恐怖に襲われます。

この"無音の世界"は"音が感じられない世界"です。

静かなところにいたり、耳栓をして"単に音が聴こえない"のとは全然異なる感覚です。

分かりにくい例えかもしれせんが、どんなに目を凝らしても何も見えない、それこそ地底深くの洞くつ(一切光のない真っ暗闇の場所)にいるときのような感覚が"無音の世界"です。

 

片耳を失聴したくらいなのに情けない話ですが、このような聴こえに関する不満と不安が常につきまとっていて、それを感じるたびに

 

  「この先、一生、音の奥行は感じられないんだ(涙)」

  「これで聴こえる側の耳も聴こえなくなったら完全に音の聴こえない世界で生きていかなくてはいけなくなってしまう」

  「音が聴こえない世界は怖い、嫌だ。きっと孤独感は耐えられない」

  「聴こえる側の耳を大切にしよう。でもどうやって?どうすれば聴こえを一生維持できるんだろう?」

  「なぜ主治医に失聴の可能性を説明されたときに考え直さなかったのか」

  「確かに経過観察中に病状が進めば失聴したかもしれないが、それでも何年かは聴こえていたかもしれない」

  「もしかしたら大きくなったのは一時的で、あの後一生経過観察で聴力を残すこともできたかもしれない」

  「いま思えば、主治医は(控えめな表現を取りながらも)何度も経過観察を勧めていた。それなのに...」

  「そこで一言、もうしばらく経過観察にしますと、言うだけで済んだのに」

  「そうしていれば、こんなに胸が苦しくなるような不安に駆られるような日々を過ごさずに済んだかもしれないのに」

  「どうして..どうして...」

  「今更、聴力を戻して!と言っても叶わぬ話」

  「何をどうしようとも無理な話」

  「奇跡が起こらないかぎり...諦めるしかない話」

   :

   :

 

と、止めどなく後悔の念(ネガティブな思い)が頭の中をめぐりはじめ、居ても立っても居られなくなります。

 

一時は、この気持ちを押し殺そうとしました。無理やり前向きな考えを持とうもしました。

でも、どちらも無理でした。

 

今は、こうして沸いてくる自分の思いは素直に受け入れ、焦らず気持ちが落ち着くまで何もせず過ごします。

これからは、そうした折々に感じたことなどを、このブログに書き綴っていく中で、何か解決の糸口を見つけられれば良いなぁと思っています。

 

長文、失礼しました。お気を悪くされたかたごめんなさい。