Papanity Life <パパ二ティーライフ> -5ページ目

哺乳瓶の謎

$Papanity Life <パパ二ティーライフ>-出産1


産まれてから3日目になると、昼間だけ病室で子どもと一緒に過ごせるようになり、そこで日常生活で親としてやるべき子育ての仕事を少しずつ学ぶ。
 まず私が教えてもらったのは、ミルクの作り方と飲ませ方だ。粉ミルク一杯に対し、一度沸騰させ、60度で保温したお湯100CCを哺乳瓶に入れ、人肌程度に冷まし、子どもを抱きかかえて飲ませる。飲んでいると哺乳瓶の中に小さな泡がブクブクと出てくる。これが飲んでる証拠だ。
 しかし、私が飲ませると子どもは勢い良く哺乳瓶を吸ってはいるものの、泡が出てこない。ミルクが減っている様子もなく、これはおかしい。哺乳瓶が不良品ではないかと思い、好奇心旺盛な私は哺乳瓶を自分で吸って見ることに…。するとかすかな量しか出てこない。
 そして何度か試行錯誤を繰り返し、やっとコツがつかめた。最初は哺乳瓶の先の出っぱった部分だけを吸っていたが、これではだめらしい。もっと根本の部分をくわえ、押し込むようにして吸うと、かなりミルクの出が良くなる。子どもにも同じようにして飲ませると、上手に飲んでくれた。
 哺乳瓶もメーカーによってさまざまな形状があり、ミルクが出やすい物と、出づらい物があるらしい。つまり、なかなかミルクを飲まない子は、出やすい物を選んだ方がよい。しかし、うちの子のように食欲旺盛な場合、そちらを選んでしまうと、飲み過ぎてしまう。そして、肥満児の道を辿ることになるのだ。当然、うちでは出づらい物を選んだ。 
 それにしても哺乳瓶を自分で吸ってみて思うが子どもの吸引力のすごさに驚かされる。遊び半分で口元に人差し指を出してみてもチューチューと音をたてて吸い付いてくる。赤ん坊の力は本当に凄い。

失礼なおばちゃん

 
$Papanity Life <パパ二ティーライフ>-うまれたて5

出産後は五日ほど入院するらしく、その間は仕事場が近かったこともあり、昼休みと仕事を終えた後、一日二回、病院へと通った。
 そんなある日、新生児室の我が子をガラス越しに眺めていると、どこからともなくおばちゃんが現れ、新生児室の子どもたちの批評を突然始めた。 まずはアジア系の外国人の子を見るや否や「あーこれはフィリピーナだな。やっぱりフィリピーナは色がちがーねー」などと、ペットショップの小犬でも見ているかのように言いたい放題だ。  次に隣の子には「わーこの子は、ちっちゃいねー未熟児だったのかねーあんまり元気ないねーだいじょぶかねー」と覗き込みながら勝手なことを言っている。
 そして看護婦さんからミルクを与えられ、それでも満足できずにおしゃぶりを勢い良くしゃぶっている我が子うららを見ると、「わーでっかいなーでっかいから食い地はってんだなー、ねー」と、私に同意を求めるように近寄って「んで、お宅の子はどの子なの?」と聞いてきた。私はちょっと睨みながら、その食い地のはった子を指さし「この子です」と、答えると「あーそー、元気な子だねーなかなかミルク飲まない子もいるからねー楽でいいわ…」と言いながら、悪びれる様子もなくその場から立ち去った。おそらくこの病院で産まれた子のお婆ちゃんではないかと思われるが、本当に失礼極まりないおばちゃんだ。 
 病室に戻りその一部始終を妻に伝えると、昔の血が騒いだのか妻は「そのババーまだ居るの? 文句言ってやる」とベットから身を乗り出し、息巻いている。しかし、産後の傷ついた体では戦える訳もなく、私が少しなだめると諦めて、「そんなに、うららはひどいの?」と言いながらしくしくと泣き出してしまった。私には何も言うことはできなかった。人気ブログランキングへ

名に体を合わせろ!


Papanity Life <パパ二ティーライフ>-うまれたて6

 名は体を表すというが、産まれたばかりの我が子を見ていると、どう見ても『うらら』という顔ではない。小ブタか小猿かはたまたガッツ石松にしか見えないのだ。そう言えば女子プロレスラーのアジャコングの本名も『江里花』という可愛らしい名前だったのを思い出した。
 産まれる半年も前から名前は決めるものではない。産まれて顔を見てから決めるべきだったと、その時はじめて後悔した。幸いまだ出生届は出していないので、いっそのこと『花子』とか、そのくらい古風でうけを狙ったような名前にした方が、この子のためかも知れないと思った。しかし、まだこの子の人生は始まったばかりだ。諦めるのは早すぎやしないか? 何とかこの子には『うらら』という名前に向かって生きて貰うしかない。そう思い、気が変わらないうちに早々と出生届を提出した。
 親戚や妻の友人たちが、お見舞いに来るたんびに、我が子うららを見て「わーかわいい」などと口々に言っていたが私は思った。そんなの社交辞令に決まっている。病室を出た途端に「あの子、かわいそーきっと奥さんに似たのねー」などと態度を一変させているのだと…。
 そして私は新生児室を眺めては、突然我が子が可愛くなっていることを願った。

ミンナヨロシク!

$Papanity Life <パパ二ティーライフ>-産まれたて4
2005年4月4日、午前9時53分、3746グラムの女の子が無事に産まれた。「ミンナヨロシク(3764g)って自分の体重で挨拶してるよ! この子は天才かも?」と、くだらないゴロあわせで、早くもバカ親ぶりを発揮している私。そんなことよりデカ過ぎないか? 産まれるときは2500グラム~2800グラムくらいがちょうどいいって聞いていたのに、それを1キロも上回るなんて、あいつ(妻)のせいだ。妊娠中、いやそれ以前から食べまくっていたから栄養が行き届き過ぎたに違いない。しかも予定日より六日も早く産まれたのにこんなに重いなんて、予定通りに産まれていたら4キロは超えていただろうと思うと末恐ろしい。
 産まれてきた本人も首の回りにお肉が付きすぎて呼吸が上手くできないので、その日は保育器の中で過ごした。翌日からは他の子と同じ新生児室のベッドに移されていた。そこには産まれたばかりの赤ちゃんが五人ほど寝かされ、小さな寝顔を覗かせていた。
 今までいろんな人に「自分の子は一番可愛い」
「誰と比べても自分の子が一番良く見える」などと散々聴かされていたが、どう見てもうちの子が一番ブサイクに見える。他人の子の方がよっぽど可愛く見えてしまうのだ。俺はおかしいのか? この子を本当に愛せるのか? と真剣に考えてしまった。いやまて、前職で新人タレントオーディションの審査の仕事を時々していたから、きっと人をそういう目でしか見れなくなっているんだと自分を納得させた。
 病室に戻ると傷付き弱った妻に「うららは、だいじょーぶ? 障害がでたりしないよね? うららかわいい?」と聞かれ、私は言葉に詰まりながら「一番元気で、一番可愛いよ」と答えた。

ウォータースライダーでやって来た

$Papanity Life <パパ二ティーライフ>-産まれたて3
我が子の誕生から三十分後、一緒に分娩室に入っていたもう一人の妊婦も無事に男の子を出産し、早々とガラス張りの新生児室に寝かされていた。え!どうしてうちの子はこの部屋に入れてもらえないんだろう? 何かあったのだろうか、不安がよぎった。
 周りもざわざわと慌ただしくなり、医師の出入りが頻繁になってきた。担当の中国人の先生に「大丈夫ですか?」と声をかけると、私の不安をよそに「オメットウゴザイマス… イマネー…」と相変わらずの片言風の日本語で私に説明してくれた。どうやら首周りについたお肉がじゃまして、呼吸がうまくできないらしい。今日ひと晩保育器の中で過ごせば大丈夫だから安心してほしいとのことだ。以前も書いたがこの喋り方で説明されると、聞けば聞くほど不安になってくる。それを察してくれたのかもう一人の妊婦の母親が、私を励ましてくれ少し安心した。しかし、それももつかの間、「ギャー」と火曜サスペンス劇場の殺人現場のような女の悲鳴が、病院中にこだました。「うちの子かしら」とその妊婦の母親が呟くと、近くにいた年配の看護婦が「あーあれは全然違う人だから」と、ひと言。え!じゃーうちの妻しかいないじゃないか。母子共にやばいってこと? 再び不安にかられていった。 そして私の前を横切るたびに先生はさっきと同じセリフを繰り返していく。出産を終えたもう一人の女性がベットに寝かされたまま私の後ろを通り過ぎ、安堵の表情を浮かべていた。それから一時間くらいたっただろうか、保育器の中の我が子を心配で見つめていると、「おーい」と後ろから声が聞こえたので、振り返るとそこには産卵を終えボロボロになった鮭が、いや妻が横たわっていた。「大丈夫? どうだった?」と声をかけると、「ドバーっとウォータースライダーに乗って出てきたよ」とあっけらかんと話していた。ところで、さっきの悲鳴は安産ではあったものの子宮の中が、裂けてしまい何針も縫い、その時の痛みに耐えられず叫んでしまったのだそうだ。あー男でよかった。
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採れたてのスイカ?

$Papanity Life <パパ二ティーライフ>-生まれたて2
「産まれるかも知れない」と妻に言われ、病院に向かうと、そこには苦しそうな妊婦と付き添う夫の姿があった。二人一緒の出産なので立ち会いはできないと早々に部屋をだされ、もう一人の妊婦の両親と夫、そして私の四人でその時を待つこととなった。
 一人目の出産は予定日より遅れることが多い、陣痛がきてから産まれるまでの時間は平均十時間というデータが頭にインプットされていた私は、今日は長丁場になると勝手に思いこんでいた。
 妻の陣痛が始まってから二時間くいだろうか?
「産まれましたよー」という声が響いた。私たちは「どっちだろう?」と顔を見合わせた。先に来ていたもう一人の方が産まれたのだと私は思ったが、看護婦さんは私の名前を呼んだ。えーもう産まれちゃったの! 早すぎるよドラマみたいにロビーで心配そうにうつむく父親を演じていたかったのに… などと思い少し拍子抜けした感があった。分娩室から抱きかかえられて出てきたのは丸々太った赤ちゃん、産まれたばかりの赤ちゃんを見るのは初めてだったが、体中がまだ濡れていて、オギャーと顔をくしゃくしゃにしながら泣いていた。産まれる前から名前が決まっていることを伝えてあったので「うららちゃんだよ」と看護婦さんが私の目の前に連れてきた。私は「よろしく」と声をかけ小さな手に触れた。我が子なのに、正直見た目は可愛いとは思えなかった。でも無事に産まれてきてくれてありがとう。本当によかったと心から思った。
 そうこうしているうちに、若い看護婦さんが我が子をキッチンの流し台のような所で洗い始めた。それはまるで畑から採れたてで、土の付いたスイカを洗うかのように慣れた手つきで、乱暴に扱われているように見えた。おいおい! もっと丁寧に扱ってくれよ! と思いビデオカメラをまわしていたが、その一部始終が心配になり、肉眼で確認しようとモニターを見忘れていた。

陣痛〜すでに先客あり

$Papanity Life <パパ二ティーライフ>-生まれたて1
陣痛がはじまった。午前7時、病院へ到着すると通用口から分娩準備室へと通された。するとそこには、既に先客があり、「うーうー」という苦しそうな声を上げている妊婦と、そこに付き添う夫の姿があった。こんな時、何か声をかけるべきなのか?「お互い大変ですね」と言わんばかりに、とまどいながら、ぎごちない会釈をした。その夫婦からカーテン一枚を隔てて1.5メートル離れた隣のベッドに寝かされ、妻の手には陣痛の痛みの度合いと周期が記録される器具が取り付けられた。
 陣痛とは痛みの波が15分おき、10分おき、…2~3分おきと、その周期がどんどん短くなり、出産がどんどん近づいていることを知らせているらしい。人間の体は本当に不思議で良くできていると思う瞬間でもあった。聞いた話によると、陣痛がきてから産まれるまでは平均十時間前後はかかるらしく、難産になると2日くらいかかることもあるといういうので、今日はかなりの長丁場になりそうだと思った。まさか予定の6日も前にこの日が来るとは思わなかったので、ビデオカメラを実家から持ってくるのを忘れ、取りに帰ることにした。
 一時間後、戻ってみると妻の陣痛の間隔が五分くらいになり、かなり短くなっていた。看護婦さんに外に出るようにいわれ、立ち会い出産をする予定であることを話したが、「今日は2人一緒だから無理だねー」と言われ、残念そうな表情はしたものの内心かなりホッとした。好奇心旺盛な私にとって出産という未知の世界をのぞいて見たかったのも事実だが、かなりびびっていた。
 ロビーでは、もう一人の妊婦の両親と夫そして私の四人でその時を待っていた。お互いたいした会話もなく、使い慣れないビデオカメラをどんよりとした春雨の景色に向けていると「産まれましたよー」という声が響き、私たちは、「どっちだろう?」と顔を見合わせそこに駆け寄った…

遂に神のお告げが来た

$Papanity Life <パパ二ティーライフ>-rmy room1
出産予定日が4月10日と知らされ、早まりすぎて4月2日より前にしたくない理由を前回も書いたが、それは同級生の中で一番年下になり、個人差はあるにせよハイハイしたり、歩いたり、喋ったり、何をするにも遅れをとってしまうからである。平均的に一人目の子どもを出産する時は、予定日より早まることは少なく、遅れることの方が多いらしい。しかし、それはあくまでも平均なので例外もたくさんあり、その日が過ぎるまで、なんとも言えない緊張の日々が続いた。
 そしていつもより長く感じた三月末から四月一日までをあまり動かずに過ごし、その日を無事にやり過ごすことができた。ホッとしたのと同時に、なぜか産まれてもないのに妙な達成感を感じていた。 四月一日さえ過ぎれば「いつでもこい!」と言わんばかりに二人ともやけに強気なフリをしていた。それはまるで、本当はボールなんて飛んできて欲しくもないのに、声だけはとりあえず出している少年野球の守備みたいなものだ。
 予定日まで一週間となり、出産前の最後の買い物へと出かけた。最後の買い物をした翌朝、2005年4月4日午前6時「おしるしが来たから産まれるかも知れない」と妻に言われ、偶然起きていた私は特に慌てることもなく、おしるしって何? 神のお告げ見たいなものなの? と思いながら妻に聞き返した。どうやらそれは出産の始まりを意味する軽い出血らしく、それがあって、すぐに産まれる場合もあれば、十日後に産まれる場合もあるという。
 とりあえず病院に連絡すると、すぐに入院の準備をして来るようにと言われ1ヶ月前からマニュアル通りに出産準備品を詰め込んでおいた旅行バッグを片手に病院へと向かった…(写真は全く関係ないんですがそのとき住んでいた部屋の一部です)

ちょっと気になる出産予定日

$Papanity Life <パパ二ティーライフ>-妊婦1何気なく妻に出産予定日を確認すると、4月10日だと言われた。先々のことを考えると四月生まれというのは子どもにとってかなりいいらしい、数ヶ月の差でも成長の差が出るからである。つまり同級生の子どもたちに比べると一番年上ということになり、個人差はあるにせよ、ハイハイしたり、歩いたり、喋ったりと、常に先をいく感じになる。
 しかし、4月1日までに生まれてしまうと、学年が1つ上になり、その中でも1番年下と言うことになってしまう。これはなんとしても4月1日以降に生んで貰わなければ… そのためにはどうするべきか、二人で作戦を練ることにした。結果、三月の末から四月一日までは出歩かない。動かないと言うことになった。
 そしてもうひとつたいへん重大な問題が…。出産予定日をスケジュール帳に書き込もうと思いページを開くと、そこには私にとって重要なスケジュールが入っていた。トーナメント(釣りの大会)の今シーズンの第一戦目がその日だったのだ。史上最悪のダブルブッキングである。芸能人の誰かさんみたいにヘリコプターで移動できれば…。いやいやそんなんじゃ間に合わない。トム・クルーズのように自家用ジェットがあれば…。そうすれば陣痛がきてからでもすぐに駆けつけられるかも?などと妄想にかられしまう。
 出産に立ち会う約束をしていたので、今回のトーナメントは諦めようと思ってはみたものの諦めきれない自分と葛藤の日々が続いた。とりあえずこの事実を何らかの手段で妻に伝えなければ… まともに言ったらきっと「子どもと釣りと、どっちが大事なの!」と怒鳴られるに決まってる。そこで、ちょっと冗談交じりで言ってみることに、「そう言えば出産予定日いつだっけ?」「4月10日よ忘れないでよ」「あっ! その日俺トーナメントで山中湖にいかなきゃなんないだー ごめんねー」「あーそなんだ。じゃーしょうがないね。って言うわけねーだろー」と、得意のノリ突っ込みで始まり、あとは予想通りの展開である。やっぱり諦めるか。いや、まだ望みはある。出産予定日はあくまでも予定で、予定は未定ということになる。四月二日から九日の間に生まれてくれれば、すべてうまくいく…。自分の都合でお前の誕生日を決めようとしているバカなパパを許してね。

それはまるで新幹線のよう

$Papanity Life <パパ二ティーライフ>-ベビー服2出産準備も万全で、後は産まれてくるのを待つばかりと思いきや、あれがない、これがないと相変わらずバタバタとした日々を過ごしている。
 妻の大きくなったお腹をトントンと軽くたたくと、お腹の中からもトントンと返事が返ってきたり、お腹の一部が突然小さな足の形で盛り上がったりして映画マトリックスのCGシーンのようで、この中に小さな人間が入っているのかと思うと本当に不思議で感動的である。
 出産予定日まで1ヶ月を切ると、妻のお腹は信じられないほど大きくなり、それはまるで、新幹線のように丸みをおびながら、前につきだしている。それもそのはず妊婦は産まれる直前の体重が、妊娠前とくらべて約10キロくらいプラスになるのが基本とされているらしいが、妻の場合は、すでに20キロを超えようとしていた。妊娠であることをいいことに毎日食べ放題のバイキング状態を繰り返してきた結果だ。産婦人科によっては、口うるさく体重管理をされることが多いらしいが、妻が通っている病院は、まったくないらしい。しかし、度が過ぎると妊娠中毒症という恐ろしい症状になることもあるらしく「気をつけよう」と時々口にはしていたが、何をどう気をつけているのか私にはまったくわからない。どっちにしても、もう遅い。なるようにしかならない。後は何事もなく健康な子どもが産まれてきてくれるのを待つばかりである。