国産車か輸入車か、ということを考える。 | パパネコのスポーツカーは楽し!

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車歴は26歳からの45年間で20台目。オートバイは引退。
自転車は1993年購入のビアンキ。乗馬もたまに。パラグライダーも経験。
乗物は全てがスポーツだ!
sportの語源「disport(気晴らし) = dis(離す)+ port(運ぶ)」
気持ちを別の所に運び去る、気持ちを解放する。

これまでに買った車は19台。

内、輸入車は5台で、国産車は14台である。

 

輸入車が少ないのは値段がお高いからであろう。

若い時には国産車しか買えなかった。

50歳代からやっと欧州車を買うようになった。

BMW、Mercedes Benz、VWの3メーカーだけであるが。

 

イタリア車も買ってみたかったが、故障が多そうなので手を出さなかった。

 

車ではないが、オートバイならイタリアのDUCATI 916を購入したことがある。

それは今でも14,5台買ったバイクの中で一番気に入っていた。

しかし、ドゥカティは買って間もない頃から壊れまくった。いろんな部品を交換しながら半年ほど経ってからやっと落ち着いたものだ。

(写真:1996年ライダースクラブ走行会にて。那須サーキットで走行中の私の姿です。)

 

 

車でそういうことはやりたくないと思った。

 

それで、どうしてもドイツ車だけしか買わなかった。

 

その欧州3メーカーの車は、どれも非常に気に入っていた。

どうして、手放したのか考えると、維持費がかかるということかも知れない。

「かも知れない」とは他人事のような言い方ではあるが、どうしてもはっきりとはしない部分がある。

 

気に入っているのに、何か、どこか、ヘビーな気持ちがするのだった。

気が重くなるのである。

維持費が国産に較べると高いこともある。

ビーエムもベンツも、「車というものがわかっているなあ」と感心することばかりであるのに、

なぜか気が重くなる。なぜだろう。

完璧すぎる、ということかもしれない。

 

こちらが面倒見てやらなければということよりも、「乗せてもらいます」というような立場になる点かも知れない。

 

国産車は、特にトヨタ車は肩が凝らない。

ホンダ車は飽きるが、トヨタ車はそれほど優れているとは思わないが、飽きない。

全体に私が購入した国産車はみな「何の気なしに乗れる」車だった。

 

いつもご飯を食べる時に使うお箸のように、意識せずに使う。

しかし、時々はお箸の銘柄を見たり、漆塗りの感触を愛でたり、そういう国産の良さを感じることもあるが、普段は何の気なしに使っているのである。

 

外車は、そういう風にならないのである。

 

国産車でなければ日本人に非ずなどという国粋主義ではないが、

国産車はいろいろと不満だらけの部分もあるけれども、肩が凝らずに使え、憎めない。

そして、壊れない。長持ちする。部品が安い。メンテナンスを自分で出来るところが多い。

 

そういうことだ。

 

今後、では国産車しか買わないかというと、そんなことは断言できない。

国産か輸入車か、という区分けはしても意味がない。

意味がない割には、両車の違いは根本的なところで存在しているようだ。

根本が違う。あちらが元で、こちら日本ではそれを真似て作ったということは確かだ。

元とその模倣という根本の歴史が違う。

区分けは厳然として在る。

 

けれども、現在の部品レベルでの品質は、日本製は世界一であろう。

 

デザインは全くあちらに負ける。このデザイン部門でもやはり区分け線は消せない。

 

そういう区分けは否めないと認めた上で、

最近私は国産車を見直し始めているのである。

 

ひょんなことで出会った今回のトヨタ・プレミオは、

歴代の愛車の中で一番気に入っている。それは確かだ。

 

 

 

あと、本当は手に入れたいものとして、カローラのマニュアル車がある。

このプレミオの前に買おうとして電話する寸前だったのがそれである。

お気に入りに入れていた中古車が注文寸前に売れてしまった。

 

それで、2番目にお気に入りに入れていた車がプレミオだった。

電話すると、それも売れてしまった直後であったが、営業の人が別のプレミオを自宅まで持ってきてくれて、試乗した。

試乗してみて、即購入を決めたのだった。

これはCVTである。

MTはまたそのうちの楽しみに取っておこう。・・・

 

本日は尻切れトンボのような終り方ですが、この辺で。

ここまで読んでくださいまして有り難うございました。

 

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