プレジャーボートの係留されているハーバー埠頭に、赤いS500で乗り付けたカップルが見える。
この写真の昭和38年ごろ、日本は戦後の焼け跡から少しずつ立ち直り、「夢」の生活に向かって賢明に働いていた。
この広告のような生活は、戦勝国アメリカのそれであり、きらきら輝く夢のような生活であったが、努力すれば手に届くに違いないとも思われた。
そもそも、真昼間に、恋人と赤いオープンスポーツカーに乗って港に出かけ、白いヨットやボートを見ながら時を過ごす、・・・などというのは、それ自身が「夢」であった。
現在はどうであろう。 経済は復興し、世界を席巻し、そして今また落ち込み始めている・・・ このような車は、今はほとんどなくなってしまった。
現存するのは、マツダのロードスター(イギリスではMX-5)くらいのものだ。
フェアレディZロードスターやBMW Z3,Z4も所有または試乗したことがあるが、ちょっと違うという印象だった。
こういうのは、車重の軽さも絶対に必要なのだ。重い物はエンジンも大きくなる。全体としてヘビーな運転感覚で、あまりうれしい気持ちにはならない。
それに、高価すぎる車は、論外だ。 一般の若者、大人が楽しめるものでなくては、スポーツ(楽しみ)ではなくて浪費や見栄・虚栄になってしまう。 金持ちならば、何も「非日常」を持ち出さなくとも既に非日常の毎日を享楽している。それほどお金がなくとも、普通に働き、その汗とストレスを吹き飛ばすのに、時々スポーツカーも楽しむ・・・そういう小さなことを大切にする、大切に出来る・・・そこに地に足のついた文化が形成されていく。
オープンカーに乗ると、オートバイのように風を受け、実に気持ちがよい。
こういう車をHONDAがまた出さなくては、やるべきことを忘れているというような印象を受ける。
オープンスポーツカーは、日常生活の荷物や家族を乗せられないが、その「非日常」という無駄にこそ、スポーツや憧れや楽しみというものがあるのだ。
日常の重みから、一時解き放たれて、風に遊ぶ・・・
それが、スポーツカーである。
サーキットでタイムを競うというのは、「職業」的で、それはまた別の話という気がする。
1963年のHONDA S500の広告写真