日本国土で埋め立て地以外の土地を掘ってみれば、
どこかしこから遺跡が出てくる可能性は
ゼロではないようです。
発見される遺跡の多くは、その存在が知られていたわけではなく、
道路建設や住宅開発で発見されることが多いそうです。
偶然にね (* ̄- ̄)ふ~ん
考古学者も歴史学者もその場所を(´・ω・`)知らへんがな
上之宮跡から少し北に向かい、清風高校前を右に曲がると
細工谷1の交差点に出ますが、この交差点付近
平成8年(1996)に高規格道路建設に伴って
遺跡が発見されました (* ̄- ̄)ふ~ん
細工谷遺跡が (* ̄0 ̄)/ オゥッ!!
聖バルナバ病院の門前に鎮座する
北向き地蔵の壁面に
(-ω-)/
発掘調査で出土した和同開珎の枝銭や墨書土器、瓦、
『百済尼寺』の存在を示す木簡などが
出てきたそうなんです。
そんな説明文と写真が掲示されてます。
残念ながら資料の見学はできないようです。
遺跡はこの道路や周りのビルの地下
見学不能はしゃーないなぁ
とつぶやきながら
細工谷1交差点を北に向かって
近鉄のガード下を潜るとすぐ目の前に、千日前通の
小橋町の交差点に出ます。
小橋町の交差点を北に渡り、次の通を右に曲がると
味原公園の前に出てきます。
味原公園の外周に沿ってぐるっと回り
東側の産湯稲荷の鳥居前に
やって来ました。
産湯稲荷神社のある味原公園一帯は、石山合戦が
起こるまでこの地に比買許曾神社が
あったそうなんです。
前回に訪問した東小橋の比買許曾神社がねぇ
当地の開拓神である大小橋命は、藤原氏の祖先神とされ
味原郷に誕生し、境内の玉井を汲んで産湯に
使っていたと伝わっています。
その玉井が境内参道北の鳥居の先にあります。
今も現役で井水が湧いているようです (o^―^o)ニコ
いつの頃からか大阪名物となった『粉もん』
小橋町交差点の角にお店があったので買い求め、
味原公園の木陰で
たこ焼きを戴いてた後、産湯稲荷から北の
味原池を目指して