川端龍子は、暑いのが好きだったそうで、ある夏は、思いのほか熱くならなかった事に対して「寒暖計の赤棒が景気よく、ぐっと百度を指したなら」と不満を漏らすほど暑い夏を求めていたそうです。自らを「夏の子の龍子」と名乗っていたそうです。ちなみに奥様は夏子。
そう言いながら「炎庭想雪図」などは夏に涼を求める作品のような気がしますが。炎庭は燃えるような暑い夏の庭を意味します。ヤマユリやタケニグサなどの夏の植物と南の島にいるような鳥が描かれています。庭に雪が降ってくるのを想像して涼しい絵を残しました。
165.1×381.0 1935年(50歳)制作
椰子の篝火
連作太平洋の第三作の取材で昭和9年にサイパン、ヤップ、パロオなどの島々を視察、日本の委任統治の視察しました。作品は原住民の踊りを楽しむ情景を描きました。
242.4×727.2 1935年(50歳)制作
立秋
今年は8月7日ですが、解説では土用の後を受けて暑気が去らないのに、立秋の二字からは、爽やかさが溢れてくる。立秋後は、日を追うて暑気は衰え雲のたたずまい、風のさやぎにも、そこはかとなく新涼の秋気をかんずるものです。と書かれているが何が良いタイの良く解らない。
172.0×226.0 1932年(47歳)
秋縁
龍子の画室の縁先を描いた作品。犬はモルと名付けられた愛犬。
249.0×146.5 1947年(62歳)
保津川下り
171.7×169.2 1959年(74歳)制作