犀の角のようにただ独り歩め | 私学に生きる

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大学職員のブログ。
初等・中等・高等教育について、関心のあることを取り上げています。

引越用に本の整理をしていると、色々懐かしい本も出てくる。

高校生くらいの時に「仏陀(釈迦)」について知りたくて、色々読み漁っていた。手塚治虫の漫画「ブッダ」~お坊さんが書いたような本まで読んだが、その中でも、『ブッダのことば-スッタニパータ-』(岩波文庫)中村元訳は何度も読み返した。


この中の蛇の章では、「犀の角のようにただ独り歩め」ということが繰り返し、何度も説かれていて、仏陀が悟りを開く過程において、独立自尊の精神をいかに大事にしていたかよくわかる。

確かに何かを極める時には、「孤独」であることを恐れないことが大事だし、思索を深めるには独りになる時間が必要だ。


sai


音声に驚かない獅子のように


網にとらえられない風のように


水に汚されない蓮のように


犀の角のようにただ独り歩め。


四方のどこにでもおもむき、


害心あることなく、


何でも得たもので満足し、


諸々の苦難に堪えて、


恐怖することなく、


犀の角のようにただ独り歩め。


仏陀関係の本を読んでいると、色々なトリビアにも出会った。

仏陀は断食などの苦行をしすぎて、動けず倒れていた。そこで、仏陀に乳粥(サルピス)を飲ませて元気させた村の娘がスジャータという名前である。今ではミルクのフレッシュ名で親しまれている。

またその飲ませた乳粥(サルピス)にカルシウムを加えたのが、今の「カルピス」だと言われている。


仏陀の死因は、豚やきのこ類にあたって食中毒だといわれているが、ここにも逸話がある。


村を訪れた仏陀を歓迎しようとした老人は手作りの料理(豚やきのこを使用)を差し出した。

仏陀は食べた瞬間、「むむ、なんかおかしいぞ」と思ったのだが、この老人が自分にしてくれたことの気持ちを考えて、全部完食したそうだ。それが原因で死ぬことになってしまった。


正直どこまで本当かはまゆつばものである。でも、ここで「なんだこりゃ、マズイ」といわないところがスゴイ。

仏陀は自分が死ぬことになっても、相手の気持ちや思いやったのだ。