Q
画像の句を読める方おられますか?お願いします。
A
君が為めなにか惜まん若桜
散りて甲斐ある命なりせば
君がため何か惜しまん若桜散りて甲斐ある命なりせば
「あ(阿)」は「な(奈)」にも見えますが、意味上からは「あ」が通り、こう読んでおきました。
質問者からのお礼コメント
戦死した親族が残した句が最近、見つかり 最後になんと詠んだのか気になって投稿しました。
本当にありがとうございました。
Q
大学受験、古典です。
初歩的な質問で申し訳ないのですが、敬意の方向についてで、例えばなのですが、
上司に田中さんが「斎藤様がいらっしゃいました。」と申し上げた。
という文があった場合、古典では「申し上げた」がこの文を書いた筆者から上司への敬意となりますが、申し上げるの動作主体はあくまで田中さんです。この場合、直感的に田中さんが謙って上司に申し上げたわけなので、田中さんから上司への敬意と思ってしまうのですが、なぜ地の文の場合、必ず筆者からの敬意になるのでしょうか。
A
【上司に田中さんが「斎藤様がいらっしゃいました。」と申し上げた。】
この文を書いた人間の敬意の有無だけが問題です。この文を書いた人間に、「上司」なる人物に対する敬意があればこそ、「田中さん」の行為を「申し上げた。」と書いた。もっと精確に言えば、この文を書いた人間に、「この文を読む皆さん、私は『上司』なる人物に対して敬意を抱いています。」とアピールする意思があればこそ、「田中さん」の行為を「申し上げた。」と書いたのだ。上記のことに、行為をした「田中さん」が「上司」なる人物に敬意を持っていたかどうかは、一切関係がない。
【トランプ氏に大統領補佐官が「高市様がいらっしゃいました。」と言った。】
私自身はトランプ氏に敬意を持っていないので、たとえば私のブログになら、上のように書く。
しかし、私が高市の秘書で、職務として文章を書くなら、
【トランプ氏に大統領補佐官が「高市様がいらっしゃいました。」と申し上げた。】
と書く。それは、職務上、トランプ氏に対する敬意を持っていると、高市にアピールするためだ。
上の文で私が高市に「首相」「様」のどちらも付けていないのは、私の敬意の有無の反映であり、敬意があるとここで主張する必要もないためだ。
そんな私が上の事実を書くだけなら、以下のように書くだろう。
【トランプにその補佐官が高市の来たことを告げた。】
以上が何か参考になりましたか。敬語とは、あくまで当該言語行為をなす者の敬意の表現であり、語られる対象の意識とは何ら関係がないことを、以上の補足で説明しました。
Q
いちから南山大学人文学部に受かる古文ルートを組んで欲しいです。一応1からでお願いします。最短で行きたいです。過去問は10年分あります。現代文もやった方がいい参考書があったら教えてください。
どうしても受かりたいです。
A
南山人文なら、英検2級なり他の外部試験で「満点換算」の資格を取り、地歴をがっちり固めるのが、合格の最短コースです。国語は難しくなく、素直な出題ですから、共テ対策で十分高得点が可能です。
ルート信仰の人のようですが、お勧めしません。
ダイエットや健康、あるいは美容と同様、大学受験国語の「ルート」の学参は、およそ真の国語力は養成できません。あれらは皆、前者の売れ線商品と同じ性格を持つ、「商品」です。
前者に頼る人が決して自身の目標を達成せずに時間と金だけを業者に吸い上げられるのと、まるでパラレルです。ルート学参で学力を伸ばせる人は、ルート学参に頼らなくても伸ばせる人です。あれはそういう代物です。
以上は私があなたの親の世代が大学受験に臨む前から高校国語教育に関わってきた経験知からの回答です。
付言すれば、学習を知恵袋に頼る人々も同様です。いずれも、自分の体で地道に学んでいくことを厭う人々です。古文に限らず語学学習で必要なものは、誰でも持っているもので十分に足ります。要は、それを活用できるかどうかです。
Q
衆議院解散しましたが、自分は政治に関してとても無知なので教えてください。
統一教会と関わりのあ治家リストなるものが公開されていますが具合的に統一教会と関係があるとどうまずいのでしょうか?
安倍元首相の事件は統一教会信者の家族、所謂宗教二世によるもので統一教会をはじめとした宗教は一部を除き金儲けの道具でしかないし一刻も早くやめさせるべきだと思います。
しかし、親が宗教にハマりおかしくなったのと安倍晋三は関係なくないですか?
例えば日本でも有名な創価学会に親が入信して貧しいのに献金するせいで子供はボロボロの服を着たりお風呂にも入れないということがあったとして(実際にある)だからって生きてる時の池田大作や創価学会の幹部ではなく創価学会から恩恵を受けている芸能人をこ/ろしてやろうとはならないですよね?
もちろん日本の元トップである安倍晋三をこ/ろすくらい大きなニュースにならないと世間は統一教会についてここまで関心を持つことがなかったとは思います。
ただ、政教分離という言葉があるのに公明党と創価学会を分けて考えるのは不可能というほどズブズブだしそれが何十年も黙認されてきましたよね?
統一教会と関係があるとか恩恵を受けているというのは具体的にどのような面でなのでしょうか?中国や韓国に有利な政治を進めることでお金を貰うとかですか?
ぶっちゃけ本当に怪しいところが一つもないクリーンな政治家なんているのでしょうか?どんなに強い気持ちを持って志してもそんな環境にいたらみんな汚いことに慣れて麻痺して悪いこともわからなくなり手を染めてしまうのでは?と思います。
だから選挙で投票に行くことも誰なら信頼できるとかじゃなく誰が1番マシかってだけで多かれ少なかれみんな悪人のように思えてしまいます。極論政治家に関わらず人間誰しもそうでしょうけど、、
長くなりましたが、結局統一教会と関わりがあることで何がまずいのかを知りたいです。これは関係しててもいいだろとかまずくないとか言いたいわけではなくあのリストにない政治家も裏金やら何やら絶対に何かしらしてるのにと考えずにはいられません。
回答いただける方は自分が指示する政党や政治家とその理由、その政治家はクリーンな人間だと思うかも教えてください。
A
端的に言うと「行政がゆがめられる=民主主義が空洞化する」からダメなのです。
画像は統一教会のフロント団体、企業でいう支店である国際勝共連合の直近の運動方針です。自民党、高市政権の政策方針そのままです。これでは、選挙で問われる民意ではなく、自民党の政治活動、選挙活動を全面支援する統一教会の意に従う行政となります。現になっています。
自民党は、企業献金を毎年巨額受けています。他の文明国では軒並み禁止されている企業献金が、日本では合法です。自民党政権の政策は、大企業優遇が顕著です。これも、統一教会同様、「行政がゆがめられる=民主主義が空洞化する」例です。
さらにいえば、国内TV新聞等の主要マスコミは、自民党に不利益となる報道を基本しません。福島原発事故の後処理状況にせよ、自民党高市首相が、韓国検察により押収公開された統一教会内部資料に32か所あることも、記者クラブは首相に対し誰一人質問すらしません。報道もゆがめられており、民主政治が空洞化されています。
三脚をなすその一つが、自民党と統一教会の癒着です。外国の宗教を偽装した悪質政治団体が、故安倍首相をはじめ、有力政治家を広告塔にし、日本国内の信者から寄付金を搾り取ってきたのです。ある信者の寄付金総額は100億円に達しています。広告塔の役割を果たした政治家が「関係ない」わけがありません。
私はそう思います。
Q
古文で質問です
家の主も小童べも皆忘れて
という文で、
(省略された主語が)家の主も小童べも皆(を)忘れて
という形のように、いきなり文頭が主語ではなく動詞の目的語になることってありますか?
A
あります。
返信A
新たに質問を追加したようですが、古文は現代文に比べ、省略(というよりも、省筆)が多いので、主語も含めて、「仮説を立てて読み進める」のが、読み方の基本です。現代文でも、基本は同じですが、古文は特に、その読み方を強いられがちです。
その際、物を言うのが経験値です。あなたはこの文に困っているようですが、それでは経験値は積み重ねられません。類似の文を置く読むことで、仮説を立てて読む読み方に慣れ、だんだんと意味を取れるようになります。
理数系は解く学問、語学系は、紡ぐ学問です。学問性格が違います。「仮説を立てて読む」「経験値を積む」、これは古文、英語、現代文を問わず、読むという行為とその能力を高める基本的方法です。それを厭うようでは、語学力、読む力は伸びません。
質問者からのお礼コメント
ありがとうございます
Q
結婚後は夫婦双方納得の上で嫁側の苗字にしようと2人で決めています。私は一人っ子、彼は長男(弟あり)です。
ですが夫側の両親は「女性が苗字を変えるのが常識」といって反対しています。この両親と今後やっていくのは大変でしょうか?
正直私自身は苗字にこだわりがあるということより、妻側が嫌がっていることを無理矢理強要しようとしてくるというように感じてしまうしまうのですが…私が夫の両親の気持ちをくめていないのでしょうか?
補足
息子が決めた相手、納得して妻側の姓になることに同意している、法律で決められているわけでもないのに、と思ってしまいますが、、仮に私が折れて夫側の苗字になったとしても、今後常識といって2人で決めたことに口出される可能性はありますよね…聞く聞かないは別として…
ちなみにやはりまだまだ少数派であることは承知はしていますので、妻側の実家はある程度資産もあるので結納金は充分に支払うつもりでその話も提示していますが、反対されています。
A
自分たちが考える常識を子に押し付ける、そういう親と、うまくやっていこうと考えるのが、無理な話です。実は、その「常識」が、性差別なのです。彼の親は、性差別者なのです。
差別者とうまくやれる被差別者など、あり得るでしょうか。差別者とは、戦うしかないのです。うまくやって行けはしません。差別を回避することはできないのです。客観的には差別で、差別者にとってそれは「皆が従うべき常識」なのです。
真実は、太陽のようなものです。その価値は計り知れませんが、理解できない者は、逆にそれに怯え、それから目を背けるのです。あなたがたは実は、結婚を通じて、差別に直面しているのです。日本は、性差別が厳しく、多くの人がそれに負け、不幸になっている社会です。
返信A
しかし、並行回答を見ていると、私の回答=この日本がいかに性差別の強い社会であり、質問者が直面している問題が性差別である=の正しさが可視化されています。
【男女いずれかの姓を選択せざるを得ない法制度の下で、一方の選択だけが問題にされ、説明を要求され、それを主張することを「感情的」「面倒くさい」「悪い意味での」と意味付けられる。これはらすべて性差別そのものですが、回答者は自身を性差別者とは全く認識しない、逆に常識的だと考える。】
これが、この日本社会の性差別の現状です。
その意味では、並行回答者たちに深く感謝申し上げたい。この質問と出会い、回答し、それが削除されず、並行回答を見ることもできた、それはすべて質問者の御蔭です。どうもありがとう。正しくこの試練を乗り越え、幸福をつかまれることをお祈りします。
Q
フリーター(女)です。バイト先のおじさんについての相談です。真剣に悩んでいます。
飲食店で働いています。今年入ってきた配送担当のおじさん(以降Aさんと記載します。)が生理的に無理で精神的にきついです。
私のお店では前日に売れ残った商品をすぐに廃棄せず、店の冷蔵庫に保存して翌日従業員たちが自由に食べて良いことになっているのですが、売れ残りがなかった時にAさんが調理部門である私に遠回しに賄いを強請ってくる(?)ことにストレスを感じてます。
そもそも私の店では賄いはありません。代わりに社割を使って商品を購入することができます。なので売れ残りがなければ社割で商品を買うか持参してこいよって話なんですが、Aさんはそれをしないんです。
今年の春頃にAさんが「今日売れ残ってる商品ないね?」となぜか私に話しかけてきてその後もすぐに去ろうとせず話しかけてくる事にストレスと気持ち悪さを感じたので、「新商品なら試食としてあげてもいいか…これでさっさと消えてほしい」と思い新商品を作ってあげてしまったんです。(従業員は初めて食べる商品はタダで貰えることになってます)そしたらそれ以降、私に話しかければ(仲良くなれば)商品を作ってもらえると思ったのか、必要以上に話しかけられるようになりました。
先週は、「昨日のイベントの商品残ってない?」「人気だから全部売れちゃったんだ?」等、そんなこと既に知ってるでしょ?みたいなことを何回も何回も聞いてきました。一回聞いて去ったかと思ったらまた戻ってきて…。5回くらいそれを繰り返してきました。しかもその日はイベント限定商品は売れ残ってませんでしたが、通常商品は冷蔵庫に入ってたんですよ…。どうしてもイベント限定の商品を食べたかったんだなぁと。笑
更にその前は私が店頭に並べる商品を作ってたら顔を近づけてきて5秒くらいジーッと見てきて、「なんですか?」と顔を少し顰めながら言ったら「その商品初めて見た!楽しみにしてる!」とか言われました。もう作ってもらう前提ですよね。しかもいつも私が朝イチで1人でお店を回してる時にそういうことをしてくるんです。「商品貰うことって他の従業員が見て悪く思わないかなぁ?大丈夫かなぁ?」みたいな事を前に言っていたので一応悪いとは思いつつやってるんだと思います。そう思うなら私に話しかけんなよって感じなんですが。
一度私が商品をあげてしまったことが原因なのですが、最近特に気持ち悪さを感じてしまって仕事に行く事すら嫌になってきました。こんなしょうもない事でここまで気分落ちるんだって感じです。私も笑顔で対応して、「新商品なら食べてもいいと思います」なんてあの時言ってしまったから、Aさんも大丈夫だと思い込んでるんだと思います。最初は、食べるもの無いのも可哀想だし作ってあげるかって思う時もあったんですが、最近はまじで無理です。売れ残りなかったらさっさと諦めてほしい。てか持参してこいよって感じです。
店長に相談してもいい事なんですかね…。そもそも私が悪いから話聞いてもらえるのか不安です。
A
店長に相談していい。但し、そのおじさんに、相談したことが知られないように、店長によく頼むのが必須。でないと、後が怖いかも。それと、店長にも注意。「貸し」ができるわけだから、「見返り」を求められる危険性もある。
人を見る目がない、ガードが甘い、でも、まだ若い人みたいだから、一つの経験だろうと思う。
回答する気になったのは、「生理的に無理」という表現を咎めるためです。これは、誤りだし、邪悪な表現です。誤りというのは、「心理的に無理」が正しいということ。「あ、あのおじさんだ」と認めて初めて身の毛がよだつのでしょう。だったら「心理的に無理」です。それが「生理的反応」を呼ぶだけです。それと、これはかつて人種差別者たちが、差別を正当化するため、差別心を免罪するために使った卑劣な歴史を持つ言葉です。それを知らず、今でも使う人が多くいます。最近の著名人では、東国原英夫氏がTVで、2024年都知事選の際に蓮舫候補に対して使用していました。間違いだしよくないので、使わないでください。「ひどく嫌い」、表現としてそれが十分で、正しいです。
「気持ち悪さ」「仕事に行きたくない」は、正しくは「心が出している正しい警告」です。「体が」ではありません。
「体が出している正しい警告」の代表は、「心因反応」といいます。自覚できない葛藤やストレスなどが、不眠、頭痛、皮膚炎、逆流性食道炎などの内臓症状に現れる、それが「心因反応」です。
体と心の区別がつかないと、問題解決が遠のいたり、別の問題を生じたりします。ご注意なさると良いでしょう。
Q
現代の国語の勉強方について質問です。 私は高一なのですが、現代の国語がとても苦手です。そのため勉強方を調べた結果、要約がとても大事ということを知りました。そこで過去の模試の問題を自分で要約してみようと思ったのですが、この勉強方は良いものでしょうか?またどのように勉強したら良いなどありましたら、ご回答頂けると幸いです。
補足:進研模試では国語の偏差値が50台なかばでした。
A
要約練習というのは、文を理解できることが大前提だ。模試の問題は、教科書よりも難易度が高い。やめておいた方がいい。
現代文の勉強法は、高校生ならば、新書を読むことだろう。岩波ジュニア新書でよいから、月一冊ずつ読んでいくとよい。
現代文は技能教科だ。教科の性格は、体育と同じと考えてよい。体育が苦手な人間は、何をすべきか。一つの種目をしたって、始まらないだろう。要約云々は、それと同じだ。体育を得意になるためには、全般的な体力向上が必要なように、現代文力の向上には、全般的な読む力の向上が必要なのだ。要約だけしてどうするのという話だ。本を一冊読めば、「この本は結局どういう本だったのだろう。」と考える。それが要約なのだ。本当に鍛える気がないなら、最初からやめておくがいい。体育だって、上位にいる連中は、運動部で全国を目指しているような連中だ。体育の成績のために運動している人間が、争えるはずがないだろう。
現代文であなたよりもハイスコアを出している連中が、現代文力を「要約練習で伸ばした」とでも思いますか。そんなわけはないのだ。彼らはどんどん、自分の興味のある分野の読書をしているはずだ。私もそうだった。ガッコの勉強しか眼中にない連中に、負けるはずがないと思っていた。あなたの意識は全く甘いと思う。
質問者からのお礼コメント
新書を読んでみます。また文章を書く力を付けたいとあなたの回答を見て思いました!
Q
自分が辛い思いをしたら、他の人にも同じ思いをしてほしくないと考えることが普通だと思っていましたが、世の中にはそういう考えの人は少ないのでしょうか?
元夫は、両親不仲が中で育ち、自分はそういう家庭ではなく温かい家庭を築きたいと結婚をしても、自分の家庭では父親と同じような振る舞いしかできず、結局は離婚という道を歩みました。
私は、反面教師になるのだと思っていましたが、強い意志がないと出来ないものなのでしょうか?
子どもがいての離婚でしたので、何かできなかったのか日々考えておりますが、離婚は後悔しておりません。
A
「自分の家庭では父親と同じような振る舞いしかできず」
私もそうでした。離婚はしませんでしたが、今振り返れば反省ばかりです。
たいていの人が、家庭内では、同性の親のように考え、行動してしまうと思います。
それは、意志の問題ではないように思います。
以下は私の場合です。
私の父は、父親と祖父が酒飲みで、しょっちゅう酒を飲んでは喧嘩していたそうで、「自分は、そういう親にはなるまい」と決意し、母と合意し、子を育てたそうです。確かに私の子供の時、親も喧嘩をせず、同居の祖父母も両親と喧嘩などはしませんでした。ここまでは父は反省を活かしたのです。
けれども、それは力による平和でした。「家族は仲良くする」を、親から強制されていたのです。私は、親に口答え一つしないで大人になりました。怖くてとてもできなかったのです。
そんな私が結婚し独立して、家庭の父親となりました。そこもやはり「仲の良い家族」でした。私が父親として目を光らせていました。私は父から、父権主義を学んだのです。それを自分のすべきことだと思い込んでいました。強制的に仲良くさせられているのと、心のままに振る舞い、喧嘩を許容されているのと、どちらがよい家庭でしょうか。妻の実家は、後者の家庭でした。行くたびに私は、自分の実家と比較しました。しかし、評価はできず、代わることもできませんでした。
今振り返ると、父は性差別者で父権主義者でした。私もそうでした。父の在り方、自分の在り方が性差別であり父権主義だと気づいたのは、子育てが終わった後でした。自分の両親は今も健在で、今でも私に同じ対し方をします。今では私の考えと感じ方がすっかり変わりました。長い年月が必要でした。
私が親を反面教師にした面は、「喫煙→禁煙」などです。しかし、それらは枝葉です。自覚できない処は、たいてい親から受けた教えやしつけを当たり前と考えています。それらを正しく批判することは、至難です。60歳になり、私はようやく、自分が親から受けてきた教育やしつけを批判し、親にとっては「けしからん息子」になっています。
要約すると、あなたはまだ若い、と思います。ほんとうに自分の人生行路が客観視できるのは、人生も折り返し点を過ぎた以降だと思います。元夫も同様だろうと思います。
Q
古典と日本語について詳しい方私の疑問に答えてください。
私は古文が大の苦手な高校生です。夏目漱石などの文学小説が大好きで、言葉遣いや表現こそ今の女子高生には古臭いとか堅苦しいとか思われるようなものを普段から使ってしまいますが、古文にはどうしても馴染めません。そこでとある疑問があったので詳しい方に教えてもらいたいと思います。
古文で使われている言葉(あはれ や をかし など)は今の日本語では使いませんが、今の日本語に変遷するまでに何が起きたのでしょうか?時代が経過すれば言葉が変化するのはないとはいいきれないと思いますが、私たちが生きる現代での流行語などの新しい言葉(それな や まじで など)は書き言葉はもちろん、話し言葉でも大人の世代からはあまり良いようには思われませんよね。新しい言葉というのはある程度時代が過ぎると消滅していくものかと思うのですが、古文の言葉から今の日本語までの変遷の間にはそういったことは起こらなかったのでしょうか?
分かりにくい説明で申し訳ありません。教えてください。
A
いわゆる古文というのは、要するに、書かれた言葉です。
言語の変化は、まずは話し言葉で起きます。その中で、書き手に「これは書いてもよかろう」と判断された変化が、書き言葉となり、記録されました。いったん書かれ始めると、今度は、書き言葉としての評価を受け、取捨選択されます。その過程は、各時代の作品として残っています。
一方、13世紀初頭の歌人藤原定家により、王朝古文はいったん、「これが正しい日本語の文章語だ」と規範化されました。その規範は、歌人及び国学者たちによって、明治初年まで尊重され継承されました。それを文語文と言います。
ざっくりいうと、上記の二つの系統が、いわゆる古文にはあります。学校で習う古文は、主に後者です。前者は、歌謡、説教節、幸若舞、狂言、浮世草子、滑稽本などの、主に口承芸能や娯楽本の系統であり、学校や入試ではあまり扱われません。