Q

夏目漱石の「こころ」を授業でしていて、「もっと早く死ぬべきだったのになぜ生きていたのだろう」という言葉に「K」のどのような気持ちが込められてるのかを知りたいです。

 

A

気持ちはそのまま書かれています
「もっと早く死ぬべきだったのになぜ生きていたのだろう」が、そのままKの気持ちの表現です
まさかこの文章を、純粋な疑問文「その理由を教えて下さい」であるとお考えでしょうか(そうした解釈は、この文が遺書の中に書かれている事から、あり得ません)
すなわち「こんなことなら、もっと早く自殺しておけば良かった」という後悔の気持ちです
この上で読者が考えるべきは、そのようにKが考えた内容、すなわち「後悔」の中身ですが、それについては先生の遺書全体から考えるよりありません

Q

夏目漱石こころのストーリーを400文字程度で教えてください

 

A

一例です
【学生の私は、旅先で知り合った年上の男性に惹かれ、東京に帰ってから、「先生」と呼んで親しく交際を結んだ。その後、先生の人柄と考えに魅了された私は、その背景としての先生の過去を知りたがるが、先生はすぐに話さず、「適当な時期が来れば話す」と私に約束する。私は大学を卒業して郷里に帰り、父親の病気の悪化により、すぐに帰京することができない。そんな時、先生から分厚い手紙が届く。それが遺書であることを知った私は、危篤の父を見捨てて、東京行の列車に飛び乗る。車内で読み通した手紙には、先生が学生時代に親しかった友人Kを、恋のせいで先生が手ひどく裏切ったこと、その後にKが自殺した経緯が詳しく書かれていた。先生は、Kの自殺理由について、「一人で寂しくてたまらなくなった結果」と最終的に結論付けた。そして、今また自分がKと同じ道を歩んで自殺することを示唆し、遺書としての手紙を閉じていた。(398字)】

Q

夏目漱石のこころのストーリーを200文字程度で教えてください

 

A

一例です
【私は、旅先で知り合った一人の年長男性に惹かれ、「先生」と呼び、親しく交際した。私はその人柄と考え方に深く惹かれた。「先生」は私に、自分の思想の背景としての切実な経験を私に遺書という形で詳しく物語った。「先生」は、かつて友人Kを卑劣な形で裏切り、自殺に至らしめた過去があった。「先生」は、Kの死因を「淋しくてたまらなくなり自殺した」と結論付け、自分もKと同じ道を歩いて自殺することを私に示唆した。】(198字)

Q

精神疾患になってしまった彼女との付き合い方についてお教えください。
自分には付き合って半年ほどになる彼女がいるのですが、その彼女が職場で殴られて骨折をしてしまい、その反動?で精神疾患(PTSDや鬱)になってしまい、現在入院中です。
自分は出来ることはしてあげようと、入院諸々の手続きや、必要な物の手配や運搬をしていますが、自分の家族からは大反対を喰らってしまっています。
『そんなガ⚪︎ジとは別れろ』『そんなの付き合わせてられない』なんて言われるのですが、そこまで頑なに否定するほどデメリットか何かがあるのでしょうか?
どなたかご教示願います。

 

A

ご質問以前に「彼女が精神疾患になってしまった」と、家族にしゃべるあなたがおかしいです
精神疾患も含め、病気の履歴は、個人のプライバシーの中でも最高度に属します
ご質問には、彼女本人の承諾あるいは依頼の有無については不明ですが、たとえそれらがあったにせよ、彼女本人にとっては赤の他人である家族に病気の履歴を口外するなど、論外の行為です
ご自分にとっての「デメリット」をお尋ねになる前に、ご自分のなさった行為の意味について反省なさるべきです
なお、あなたの家族の『そんなガ⚪︎ジとは別れろ』発言は、おそらくは障碍者差別発言だと思いますが、これも論外です
人権意識の低いご家族に育てられた結果、あなたのそれも相当に低いかと思います
人権意識の低い人との交際は、相手にとっては間違いなく「デメリット」が大きく、交際のデメリットについて考えるべき立場にいるのは、現状では彼女の方かと思います

Q

親が霊友会に熱心です。私自身40代ですが、子供の時はお経を挙げさせられていましたが、物心がついた時からバカらしく、私自身全く信仰していません。
しかしながら何か事が起こると、先祖の因縁がある、生き霊がなど言われ、いつもならほっといているのですが、つい最近息子が怪我をしたら、「右?ちゃんとお経あげて授業しないとダメ。自分の我じゃなくて、息子のためにちゃんとお経をあげなさい。」と言われ、何を言いたいのか大体わかりますが、気になって気になって息子の怪我で動揺してるのにさらに自分が動揺してるのが分かります。
何が言いたいかというと、自分は信仰してないのに何か意味深なことを言われると動揺させられている自分が嫌です。親と信仰が違う時に心が惑わされないようにはどう言った心構えが良いのでしょうか?
私自身は特に宗教団体には属してはいません。

 

A

宗教は、大別して二種類あります
お母様のは、現世利益を期待する宗教です
これは、前近代的な宗教がそうで、古典に出てくる宗教はたいていこれです
雨が降らなきゃ雨乞い、疫病が流行れば疫病払い、戦争になれば必勝祈願、現代では、子どもの健康や受験合格祈願、病気平癒家内安全、みな現世利益を神仏に祈り、叶えてもらおうとする、古代的原始的な心性に基づく信仰です
お母様が言われることを、「意味深」と考えるあなただからこそ、心がぐらつくというだけです
心構えの問題ではなく、生き方というか知恵の問題だと私は思います
現世利益を神仏に求める気持ちは、私は古典(今は平家物語や源平盛衰記です)で嫌というほど読み、その馬鹿馬鹿しさを思い知っています
お母様の仰ることは、12世紀の人々とまるで変わりません
いったいあなたは小中高と、何を学んできましたか、という話です

Q

現代文小説『デューク』2001年センター本試験・新現代文レベル別問題集1(9講)
問3がわからないのでおしえてください!
問題:彼が指さしたのはプールだった。これにつづくプールでの出来事の叙述は、その小説の中でどのような働きをしているのか?
3(迷った選択肢)
悲しみに沈んでいた私が忘れていた水の感覚の素晴らしさを少年に教えられるということで、【私が悲しみを癒す方法を手に入れたことを表している。】
×の根拠:【】のところ この後も再び悲しみにおそわれているので×
とありますが、悲しみを癒す方法を手に入れたからと言って、人間はいつかは悲しい出来事があれば悲しい思いはするはずです。一時的に手に入れたから〇ではないのですか? 悲しみを癒す方法を手に入れたのは事実ですが、それがずっと続かないと×、そのあと悲しんでしまったから×という根拠に納得がいきません。どういうことなのでしょうか?
4(正解)
泳げない筈の私が少年の神秘的な力によって泳ぐことの心良さを体験させられるということで、少年が特別な存在であることを暗示している。
とありますが、この説明は本文に書かれていません。解釈可能な表現だから〇とかかれています。確かに解釈可能ではありますが、現代文は書かれていることを答えるのではないのですか?でないと人それぞれ解釈が分かれてしまいます。想像して解釈すべきところと、書いてあることを書くべきところをどのように使い分けて対応すればよいのでしょうか?

 

A

確かにこの設問は微妙で、私は最初、全て外れているように思い、次に「3かな」と思い、あなたの質問文を全て読み、「なるほど。4だな」と理解しました
以下、解説します
設問は、作品全体の中での「プール」の挿話の果たす働き(役割)を問うています
私自身は、【ここで一度薄れた悲しみが、寄席で再び「私」を襲う事で、「私」にとってのデュークの喪失の意味の大きさを読者に改めて印象付ける働き】かな、と考えましたので、選択肢全てがトンチンカンに感じました
設問の前提は、「作品内に『デュークが非現実の(この世のものでない)存在であることのサイン』が必須である」という認識です
その【「非現実性のサイン」を探すと、実はこの「プール」の「泳げないはずの私が泳いでしまえたこと」にしかなく、それをもたらしたデュークの「非現実の(この世のものでない)存在性」を説明した選択肢4が正解になる】というこの設問の基本デザインが理解できました
ご質問の後半については、直接の回答は致しません
切り取られた問題本文から、正解選択肢の根拠は読み取れる、それが客観式試験の大前提です
共通一次試験を含む大学入試センター作成の試験は、その模範的達成です
河合塾作成の共テ模試は、ほぼそれと同水準の客観性を備えています
ベネッセの模試は、解答解説も含め、河合塾にかなり劣ります
私の認識は以上です

 

 

返信Q

ありがとうございます!
選択肢3 が適切でない理由についてもくわしくおしえてください!

 

返信A

愛する対象を死によって失った悲しみが、そもそも何らかの「方法」によって癒されるようなものではない事を、この作品がその展開(プールでいったん悲しみを忘れ、時を置いてそれが再びどうしようもなく「私」に戻ってくる)で描いています
それが、3が正解選択肢ではない理由と言えるでしょうか
4(「少年」の神秘的で特別な存在であること)がまぎれもない正解ですから、他の不正解である理由は必ずしも明確である必要はありません

Q

古文(徒然草)の質問です。
〈全文〉
『さしたる事なくて人のがり行くは、よからぬ事なり。用ありて行きたりとも、その事果てなば、疾く帰るべし。久しく居たる、いとむつかし。
人と向ひたれば、詞多く、身もくたびれ、心も閑かならず、万の事障りて時を移す、互ひのため益なし。厭はしげに言はんもわろし。心づきなき事あらん折は、なかなか、その由をも言ひてん。同じ心に向はまほしく思はん人の、つれづれにて、「今暫し。今日は心閑かに」など言はんは、この限りにはあらざるべし。阮籍が青き眼、誰にもあるべきことなり。
そのこととなきに、人の来りて、のどかに物語して帰りぬる、いとよし。また、文も、「久しく聞えさせねば」などばかり言ひおこせたる、いとうれし。』について。
〈質問内容〉
この文の現代語訳の最初には「これということがなくて人のもとへ行くのはよくないことだ」と、最後には「これという用事がないのに人が来て、のんびりと語って帰ってしまうのは、とても良い」と書いてあるのですが、自分から行くのはよくないけど、来てもらうのはむしろ良いことだということですか?

 

A

「自分から行くのはよくないけど、来てもらうのはむしろ良いことだということですか?」
・・・そうではありません
「久しく居たる、いとむつかし」は、「(訪ねて来た客が)長居するのは不愉快だ」という意ですので、来られた場合のことを言っています
「さしたる事なくて人のがり行くは、よからぬ事なり。」と、「そのこととなきに、人の来りて、のどかに物語して帰りぬる、いとよし。」は、ある意味で矛盾したことを筆者は書いています(「用のない訪問は良くない」「用のない訪問も良い」)
矛盾したことが書かれているのを、整合的に解釈(しようと)する(自分から行くのはよくないけど、来てもらうのはむしろ良いことだということ)のは誤りです
矛盾していることは矛盾していると読むのが正しい読解です

 

質問者からのお礼コメント
ありがとうございます

Q

現代文小説『デューク』2001年センター本試験・新現代文レベル別問題集1(9講)
問2がわからないのですがおしえてください!
問2選択肢5 アルバイトに行こうと【強がって家を出た】が一人になると悲しみを抑えきれなくなった。
正解の根拠:強がって家を出たという表現は直接書かれていませんが「みょうに明るい声で行ってきますを言い」という表現から推測できる感情です。」
→私は、愛犬がいなくなった家に向かって、みょうに明るい声で行ってきますと言ったからと言ってそれが【強がる】という感情につながらないと思ったのですがみなさんは迷わずにできますか?
また、小説は感情は人それぞれであるので、主観的に読まず、客観的に読んだ方がいいと言われます。今回の問題の答えは文章に書かれておらず、主人公の話し方、行動で気持ちを推測する問題だと思います。このところはどのように対応したらよいのでしょうか?

 

A

「強がる」という言葉は、「意識的に強い(状態にある)フリをして見せる」という意味です
仰る通り、この場面の「私」が、家族に対して「強がる」行為をしたかどうか、本文からは確かに読み取れません
「正解の根拠」にある「直接書かれていませんが推測できる」は、全体として妥当な説明ですが、「みょうに明るい声で行ってきますを言い」という表現から、「強がる」が推測できるかどうかは疑問です
以下、補説です
「みょうに明るい」とは、「私」の違和感を表現しています
違和感とは、内心と挙措のズレ(心の状態と声の調子とがズレている)に対する「私」の自覚です
それを、「私」が自分自身に対して「強がる」行為をしていたと説明する事は可能です
「強がる」のこうした解釈(自分に対して無自覚的に「強がる」=デュークは昨日死に、とても悲しいけれど、自分はふだんどおりバイトに行こうとすること)は文学的であり、この選択肢も文学的には確かに正解です
「正解の根拠」は、説明としては不十分ですが、内容的には妥当です

ご質問の後半については、直接の回答は致しません
切り取られた問題本文から、正解選択肢の根拠は読み取れる、それが客観式試験の大前提です
共通一次試験を含む大学入試センター作成の試験は、その模範的達成です
河合塾作成の共テ模試は、ほぼそれと同水準の客観性を備えています
ベネッセの模試は、解答解説も含め、河合塾にかなり劣ります
私の認識は以上です

 

Q

夏目漱石の「こころ」の「痛切に感じた」のはなぜか、教えてください

 

A

【しかし私のもっとも痛切に感じたのは、最後に墨の余りで書き添えたらしく見える、もっと早く死ぬべきだのになぜ今まで生きていたのだろうという意味の文句でした。】(下48)
「なぜか」と問うのがおかしいと気付きませんか
「痛切に感じた」のは、「何に対して、具体的にどのようにか」を理解すれば、それで足りることだと思いませんか
以下解説します
「もっと早く死ぬべきだのになぜ今まで生きていたのだろう」は、「今まで生き長らえていたからこそ、こんな惨めでつらい目を見る羽目になり、ひどいつらさ惨めさの中で自殺することになったのだ」という後悔を意味しています
「今まで生きていたからこそKが見た惨めでつらい目」とは、他ならぬ先生の裏切りによって、Kはそんな目に合わせられました
それが、ここでの「痛切に感じた」具体的な中身です
簡単に言えば、「お前にひどい仕打ちを受けて、自分はつらく惨めなままで自殺するのだ」というKの思いを、遺書の最後の言葉に読み、それが先生には痛切にこたえたということです
それを、「なぜか」という問いに合わせれば、答えになるでしょう
【Kのその言葉は、自分がKにした仕打ちの罪深さを先生に思い知らせるものであったから】

Q

祭主三位輔親の侍・十訓抄
この顔の男を見れば、脇かいとりて、いきまいひざまづきたり。
「男」の気持ちを答えよ。という問題で答えが、「主人の命令を忠実に果たして得意げにかしこまっている。」だったのですが、どうやって解くのでしょうか。ひざまづいているから謝っているのかと思い間違えました。見れば、以降の単語は単語帳に載っていないし、前後を見てどう推測できるのかもわかりません。

 

A

あなたは、この作品の主旨あるいは大意を理解しようとされていますか
「どうやって解くのか」というお尋ねに対しては、「作品全体の主旨・大意を正確に理解し、その上で、この場面における『男』の気持ちを、『脇かいとりて、いきまいひざまづきたり』という描写に即して説明する」のが、その正しい方法です
部分的な場面の(正しい)理解は、話全体の(正しい)理解を前提にして、初めて可能です
十訓抄「祭主三位輔親の侍」原文と現代語訳・解説・問題
主人が「鴬打ちなんどして、やるな(おどかすような事をして鶯を逃がすな)」とこの男に命じた意図と、この男の理解「言ふかひなく逃がし候ひなば、弓矢取る身に心憂くて(飛んで来た鶯を飛び逃がすような事があっては武士として残念だ(から、逃げる前に射殺し、枝に結び付けて置き、主人が鶯を求めたらすぐに差し出そう))」が、絶望的にずれていたところに起きた滑稽が、この話の主旨です
あなたの「(男は)謝っている」という理解は、この話の主旨をふまえていません
なお、語意については以下の通りです
・いきまく(自動詞 カ行四段活用 いきりたつ)ここでは連用形「いきまき」のウ音便です
・脇 衣服の脇に当たる部分
・かきとる(他動詞 ラ行四段活用 おしのける)ここでは連用形「かきとり」のイ音便です

 

返信Q

「この顔の男を見れば、脇かいとりて、いきまいひざまづきたり。」という文章がわからない状態つまり、この文章が欠けた状態でこの話の主旨をどう捉えることができるのでしょうか。実際、この前後はしっかり読解できていたにもかかわらず、正しい解釈になりませんでした。この男は、鶯を捉えることが正しいと思っていたが周りが驚きあきれていたので、そうではないと気づいて謝った。と解釈しました。

 

返信A

・【「この顔の男を見れば、脇かいとりて、いきまいひざまづきたり。」という文章がわからない状態】と【謝った。と解釈】は、矛盾します
「わからない」のであれば、何を答えようと、それは「当て推量」でしかありません
・あなたの想像「周りが驚きあきれていたので、そうではないと気づいて」が正しいとすれば、この男は、周囲の顔色を見て、状況を判断する能力がある事になります
【「召しとどむとは、いかん」と問へば】の時点で、この男は、主人や招待客の顔色や様子から、彼らが不興げであり、自分が何かやらかして、お叱りを受けているらしいことが読み取れると思います
【「取りて参らん」とて立ちぬ】から【昨日の仰せに…射落としてはべり】までの男の一連の行動は、この男が武骨で気が利かないことを示しています
・男の答え「昨日の仰せに…射落としてはべり」が理解できていれば、この話の主旨は理解できると思います

以上の説明で理解できない場合は、お諦め下さい