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やっぱ、SHOUGUN 将軍やろ
 
いまはやってる
 
ってかはやってた
 
 
でもまあ、国際的
 
小説の再映画化
 
・・・・・・・・・・・
 
関ヶ原の戦いは描かず
 
家康(吉井 虎永)の
 
策略家の策謀が
 
原作通り忠実には
 
描かれている
 
徳川幕府の諸政策
 
極めて優秀なのは
 
家康の参謀たちが

優れていたのであって
 
家康は・・・
 
  〇〇していた説
 
・・・

大坂夏の陣、

浅香山に設営していた
 
本陣に
 
真田隊が忍び寄り
 
家康にせまったが
 
危機一髪、味方が帰って来て
 
真田隊を討ち取った
 
家康は
 
もはやこれまでと、刀を抜いて
 
応戦しようとしていた
 
・・・・・・
 
というのが徳川方の説であるが
 
・・・・・・・・
 
大坂堺、南宗寺の家康公の墓
(現在も実在する)
 
が、本物だった説
 
・・・・・・・
 
真田隊がせまって
 
家康が抜刀、応戦したが
 
後藤又兵衛方の槍で
 
家康絶命
 
当時家康は、63歳
 
斬られたあと逃げる真田隊を
 
徳川方が追いかけたが・・・

失尾
 
・・・・・・・・
 
ほどなく

6時間程度の戦闘はおわり
 
かちどき


家康公を堺南宗寺に弔い
 
そのあと、公の遺骨は
 
新幕府日光東照宮に移されたが
 
新幕府設立の直後2年は
 
家康公病身(鯛の刺身があたった)
 
として病に伏した状態で
 
指揮をとり、3年後に没(とした)
 
・・・・・・・・・・・・
 
大坂の南宗寺には公の墓所あり
 
山岡鉄舟や、松下幸之助らの
 
お墨付きあり
 
・・・・・・・・・・・
 
大坂地方で
 
真田隊の名声が今も残る説
 
公を討ち取った真田隊は
 
逃げ切って生きていた説
 
が根強く残っている
 
・・・・・・・・・
 
当時、江戸方
 
小笠原勢の騎馬6人衆の
 
3番目に
 
宮本武蔵の名があり
 
現在の大阪府藤井寺市
 
石川の合戦において
 
武蔵が単独で多勢と応戦
 
敵をけちらして
 
みごと、

一番槍の手柄をあげたという
 
史実が残っている
 
・・・・・・・・・
 
ただこの合戦において
 
後藤又兵衛の隊は
 
浅香山に撤退したという
 
史実がある
 
・・・・・・・・・・・・
 
夏の陣の終結まぎわ
 
後藤隊は
 
浅香山に奇襲をかけた
 
その攻撃で
 
家康は絶命したのかもしれない
 
のである 
 
・・・・・
 
まー

見たことが

誰もいないのでねー

でもまあ

歴史の研究とは

新事実をパズルのように

組み合わせることで

新しい発見か

あるものなのであろう