二人ぼっちのブッククラブ:トマス・モアのユートピア、その二 | ぞうの みみこのブログ

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今週の課題図書はトーマス・モアの”ユートピア。(1516年出版)架空の地、ユートピアに関する、主に三人の登場人物(そのうち一人は作者、トーマス・モア)による対話形式ですすめられる政治哲学論。

カサウン:そもそも”ユートピア”という言葉はトーマス・モアが作ったんだよ。古代ギリシャ語による造語でね,こう書くんだよ。

(と、ノートに古代ギリシャ語ですらすらと”ユートピア”と書いてくれた。哲学の研究の為に古代ギリシャ語を勉強中との事。)

私:"That's all Greek to me!"(ちんぷんかんぷんだわ。)

カサウン:ははは。まさしく。ユーにあたる部分は”無い”とも”良い”とも解釈できるギリシャ語。

トピの部分はギリシャ語で”場所”を表す。だから、二重の意味が込められているかもしれない。”存在しない場所” あるいは”良い場所” もしくは”存在しない良い場所”

トマス・モアは機知に富んだ人として知られていた。何人か登場人物がいて、トマス・モアが実名でその一人として登場している以外は全員架空の人物だ。

最初の方に、彼が友達にあてた書簡の部分読んだ?

わたし:あー、あの部分ね。その当時の友達にあてた出版の前書きだろうからと、本論に関係なさそうだったんで、飛ばしちゃった。

カサウン:あれも彼の手のこんだ仕掛けだよ。あの友達の名前も架空の人物なんだ。この”ユートピア”という対話形式の本をさも実際に実在の人物たちが語ったかに見せる為の。

わたし:すっかりだまされたわ。お茶目な人ね。

カサウン:冗談も上手な、おもしろい人だったらしい。

わたし:じゃ、主な登場人物はそれぞれトマス・モアの考えを代表しているのかな。すごい大胆な本よね。

宮廷では時の国王につかえつつ、本のなかでキリスト教の腐敗を批判したり、当時の法を批判したり、国王かくあるべし、みたいなことを語っている。

キャラクターの口を借りてだけど。最終的にトマス・モアは”反逆罪”で死刑になるのだけど。これを書いた当初はまだ王様の彼への目も鷹揚で批判にも耳を傾けていたのかな。

カサウン:どうかな。ラファエルという登場人物が他のキャラクターから

”あなた程の経験のある人は是非宮廷で王様に仕えるべき”とすすめられても、ラファエロは”彼らはわたしの意見に耳を貸さない”と言ってたじゃない。覚えてる?

わたし:その部分はトマス・モアの実生活でのフラストレーションからきているのか、とも思ったわ。

真面目で、理想主義的な部分があって宮廷でいろんな人に助言をしても聞き入れられなかったような体験からきているのかな、と思った。

カサウン:それはあるかもしれない。信仰心の厚い人で、王に仕えていても、彼にとって王は神に準じる者でしかなかった。

だから、ヘンリー8世の離婚も、キリスト教に反するとして許せなかったし。自分が一番と思っている王からすると、そういう視線で見られることに不快感を感じていたかもしれない。

わたし:推測でしか無いけど、ヘンリー8世は何回も結婚したりして、俗世間の快楽とか好きだったじゃないかと思う。

もちろん世継ぎの事とかもあっただろうけど。一方すごく頭もよくて、どっちかというとストリートスマート。

それに対して、トマス・モアはもっとストイックで真面目で真逆なキャラクター。学究肌。でもヘンリー8世は頭がいいから、トマス・モアのすごさもわかっている。

感性は真逆で反発しながら,尊敬したり、ときに友情を感じたり、憎しみを感じたり、そういうせめぎ合いが合ったのじゃないかしら。

カサウン:そうかもしれない。でもヘンリー8世の最初の王妃との離婚は、もっと政治的な含みがあった。

当時イギリスではローマ教会の権力が強くて、それをそぎたかったんだよ。政教分離だね。

わたし:ふーん。

カサウン:トーマス・モアも実際の聖職者のありようには批判的だったけど、もともと真面目なクリスチャンだ。本の中で,聖職者はこうあるべきみたいな描写をしているよ。気づかなかった?

わたし:え、どこどこ。

カサウン:登場人物の一人、枢機卿は、登場人物同士の意見の対立があったりするたびにみんなを取りなしたり、仲裁したり、彼自身も人の話を注意深く聴いているよね。

わたし:そうね。”いい人”キャラだと思うわ。

カサウン:僕が思うに,トマス・モアにとっての理想の聖職者像を体現している。

実際はこんな枢機卿ばかりで無かったろうけど、彼は聖職者達は庶民の意見に耳を傾ける存在であるべし、と思っていたのではないかな。あるいは権力と庶民のあいだの仲介者となったり。

わたし:ふーん、そこまで気がつかなかった。