私はダンキンドーナツの、自宅に近い店舗に良く行く。もうすっかり店員さんとも顔見知りで、気のきく女性店員などは私がカウンターに行っただけで,”オーダーはこれこれでしょ?”と聞いてくれる。
すっかり好みのメニューを覚えられたみたいだ。キッチンで、ちょっとした軽食さえつくるのがおっくうな夏場は毎日のように通っているから無理も無いか。
店の大きさが大きすぎず、小さすぎず、店内の音楽もほとんどかかってないか、かなりの音量の低さにしてあるので,わたしにはすこぶる居心地がよろしい。
この、”店内の音楽がなし、あるいは非常にローボリューム、というのはマンハッタンではなかなか掘り出し物なのだ。
わたしにとっては音量の大きな所が多すぎる。どんなにインテリアやメニューや店員さんが感じよくても、大ボリュームで音楽がかかっているだけで、げんなりして戸口でUターンして帰ってしまう事もある。
特に考え事したいときや、勉強や読書をするときなど、音楽は邪魔でしかない。
わたしがオーダーするのはもっぱらサンドイッチ類か、
わたしが激しくお勧めのツイストベーグル。
これをトーストしてもらってアイスティーや珈琲とともにいただく。もちもち感がちょうど良くて、とてもおいしい。
こちらでいう、サンドイッチは日本のイメージにあるうっすらスライスした白いパンにマヨネーズやハムなどをこれまた薄く上品に形も崩さずはさんだ繊細なものではない。
分厚いパンや、クロワッサン、ベーグルなどに豪快に具を挟んだボリュームたっぷりなものだ。だから一個で十分お腹いっぱいになる。
軽い珈琲の味も私に合っている。同じチェーン店のコーヒーでもスターバックスはわたしには苦すぎて、風味も今ひとつでいただけない。
実ははこのドーナツショップこそが去年、摂氏で最高気温40度ほどにもなった7月のある日、文字どおり倒れた場所。熱中症だ。
オーダーをしようと、写真にもうつっているカウンター前で待っている間に気分が悪くなり、立っていられなくなった。女性店員さんがびっくりして救急車を呼んでくれた。
不幸中の幸いと言うべきか,倒れたのがこんな場所で良かった、と今では思う。場所によってはすごい厄介な事になっていたかもしれない。
救急車が到着して、ストレッチャー(昔で言う担架みたいなもの)に載せられていくあいだ、
横になった姿勢でバッグをまさぐり、携帯を取り出してその日出勤する予定だった音楽教室に電話、体調が悪くて行けないと伝えた。今思い出しても無様な図である。
ある日、偶然このドーナツショップはかなり"安全な"店である事がわかった。
ご近所を探検しようと、ドーナツショップを出た後いつもと違う道を通ってみた。お店のすぐ裏手。するとそこには、表通りとは全く違う光景が開けていた。
公共の建物らしきビルがあり、駐車場には”NYPD"(New York Police Department ニューヨーク市警)のロゴの車がいっぱい。
制服姿のおまわりさん達が忙しそうに行き来している。そう。このドーナツやのすぐ裏手はニューヨーク警察署だったのだ。
どうりで、お客さんの中に制服のオフィサー(こちらではおまわりさんの事をこう呼びます)が多いと思った。
またよく恰幅のよい紳士が上等そうなスーツを着てカウンターの前でオーダー待ちしているのを見た事もある。
でもよく観察すると、すごい眼光鋭かったり、やけに背筋がしゃんとして,微動だにしない。
スーツを着ていてもスポーツマン体型と言うか,鍛えられた肉体の持ち主とわかる。
それだけでなく、全身から独特のオーラを放っている。こういう紳士の場合、ふとみると、たいがいお尻のポケットに手錠が入っている。
私服の警部だ。でも、こういう静かだが強面の叔父さま達が、他の庶民と混じって珈琲やらドーナツをオーダーしている様子はなんだか可愛い。
ここは24時間営業だが、なにか危ない事があっても”キャー、オフィサーたすけて!”と叫べば、”ご近所”の警察署にも聴こえそうな立地だ。店員さん達も安心して働けるだろう。
もっとも、こんな立地の店舗に強盗をしにくるような極悪人はいないだろうが。あまりにもリスクが高すぎる。つかまりにくるようなもんだ。
でも、極悪人ではないが、もっとスケールの小さな人々は果敢にやってくる。おもらいさんだ。読書などして長居していると、たいがい一人二人やって来て、小銭や珈琲をねだる。
しょっちゅうやってくる常連のオフィサーや警部を避けるように、彼らが帰ったすぐ後とかに、めざとくやってくる。はしっこいったらない。
ある日、一人のおもらいさんが、なんと不適にも一人のオフィサーがまだ客として店内にいるときにやって来て,わたしに小銭をねだり始めた。恐れを知らぬやつ。
すぐにそのオフィサーがいるあたりを示して、わざと大声で
”あちらの紳士にたのんでみれば?”
と提案した。
その声がオフィサーに届いていたと見える。オフィサーはすぐに状況を察して彼に接近。おもらいさんはすっかり彼にお説教されていた。
またある日は、一人でテーブルに座っていると背の高い、アフリカンアメリカンのお兄さんが突然やってきて、わたしにお金をねだり始めた。
しばらく話を聞いたあとでこういった。
”そう、でもわたしも同じ事をお願いしようとしていたのよ。わたしも困っているの。なにかくださるかしら?
といって手のひらを差し出した。
次の瞬間、彼はもう店にいなかった。ドアを音を立てて開け、出て行った。脱兎のごとく。
わたしはなにか失礼な事を言ったのだろうか。