小津安二郎の子供への目線 | ぞうの みみこのブログ

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小津安二郎監督(1903~1963)

は私の好きな映画監督の一人です。活動時期が黒澤明監督(1910~1998)とすっかりかぶるせいもあって、よく彼と比較されますね。実に二人の作風は対照的です。

小津監督の黒澤監督とのもう一つの違いは、映画製作技術の多彩さ、もあるのでは、と思うのですが。黒澤監督より少し先輩なせいもあり、小津監督は、無声映画もかなり製作しています。

第二次大戦のため、残念ながらかなり焼失したらしいですが。

これは小津監督が、"東京物語"などで”世界のオズ”になる以前の無声映画。”生まれてはみたけれど”(1932)



この動画で、脇役の子供に大きく、くくりつけられている”お腹を壊していますので食べ物をあたえないでください” の札のユーモアには脱帽。



いくつか小津安二郎監督の映画をみて、感心した事が、子供の描き方です。なんというか、すごくリアル。等身大の、その時その社会で生きていたであろう子供の姿をいきいきと描いているな,と思いました。

かわいい、可愛いだけじゃなくて、生意気で、
ときどきいじめをしたりして乱暴で、意外と大人の事も見ていて、社会の矛盾を感じたりしながらそれに適応して、傷ついたりしながら、したたかに生きていたりする。

また大人にはない天然ぼけ系のユーモアのセンスを持っている。

そこに監督の独特のユーモアのセンスが加味されて、いろんなシーンで、”ああ、いるいる、こんな子供”と思ってほっこり笑ったりして。

他の映画監督の子供の扱い方、

たとえばひたすら無垢で,イノセントで、天使のようであったり、

または、子供の目線を使って大人の社会を描くようなやり方で、

子供をなにか現実離れした、大人をも超越した達観した聖人のようにあつかったり、という手法は小津監督の場合、無いように思われます。

この作品”生まれてはみたけれど”でも、批評家によっては、”子供の視線”を通した現代社会の風刺、と言う風な見方もあるようですが、

わたしからするとそのような矛盾一杯の社会で生きている小さきものたちへの共感のような視線を感じるのです。かなり子供と近い視線でものごとをとらえているような。

優しくはない現実社会を虚無でもなく、諦観でもなく、またそれを反抗する対象でもなく受容し、そのままのかたちで受け入れ、それにたくましく適応して行く。

小津監督の経歴によると、映画界に入る前,ほんのちょっとの間、小学校の先生をしていた事があるらしいです。

さぞかし、ユニークな、子供の間でも人気者の先生であったのではないかと想像してしまいます。