米国の黒き真珠、ウィルマ・ルドルフ | ぞうの みみこのブログ

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陸上選手、ウィルマ・ルドルフ(1940-1994)

   ウィルマ


甲子園やロンドンオリンピックも終わりましたが、
選手達の健闘や名勝負、美しいプレイに魅了されて余韻を味わっている人も多いと思います。

そんな今日,アメリカ人知人より米国の歴史に残る陸上選手の事を教えてもらったので、ここに載せておきますね。

彼女の名前はウィルマ・ルドルフ(Wilma Rudolph)

1960年に、一つのオリンピックで団体戦の含め,三つの金メダルを手にした、アメリカ合衆国初の女性選手。

黒き真珠とか、黒いガゼルとも呼ばれました。アフリカ系アメリカ人。

顔もなかなかチャーミングではありませんか。

当時まだ黒人差別も根強いテネシー州で生まれました。なんと22人兄妹の20番目。でも貧しいお家だったとの事です。

小さい頃はかなり病弱でいろんな病気にかかります。とうとうポリオに罹患し左足の自由を奪われ、6歳からは脚に矯正器をつける事を余儀なくされます。

余談ですが、米国大統領の一人、フランクリン・デラノ・ルーズベルト(1882-1945)もポリオに苦しめられた一人。彼の場合いろいろな治療を試みたにもかかわらず完治せず、後遺症で下半身が麻痺。以降、車いすで日常生活を行っていました。

医師からは、彼女はもう一生歩けないだろうと言われたそうですが、お母さんはそれを信じず、毎週、彼女を脚の特別治療のため、80キロ離れた治療院まで車を運転して連れて行った。

大勢の兄妹達は毎晩、彼女の麻痺した脚を交代でマッサージしてあげたそうです。

その成果か、9歳からは矯正器をつけずに歩けるようになり、高校でまずバスケット選手として頭角を現し、次いで陸上を始めます。

まだ高校在学中の16歳のときにオーストラリアのメルボルンで開かれたオリンピックに出場、この時、米国チームの最年少の選手でした。

短距離走リレーで銅メダルを獲得しています。

次いで、大学生になってからイタリアはローマ開催のオリンピックに出場(1960年)、

個人で二つの金メダル(100メートル走、200メートル走)と団体戦(400メートル短距離走リレー)で金を一つ受賞。

市民権運動もサポートしていたそうです。でも私が驚いたのは,彼女が金メダルを3つ獲得して、故郷に錦を飾った時のこと、

彼女は地元テネシーの知事さんに、白人と黒人が別々に出席するような祝賀会には出ません、と言ったそうで、

それがきっかけになり、彼女らの祝賀パレードやディナーで、はじめて白人と黒人が同席する事となったそうな。

それまでは、そのような催しではいつも白人と黒人は別々にお祝いをしていたとか。

信じられない。これって、1960年ですよ。しかもオリンピックの英雄を讃えるのに白人も黒人もないでしょーに。

彼女は後進の指導も熱心で,彼女の影響を受けた女性選手も多いとのこと。その代表例が同じくアフリカ系アメリカ人のジョイナー選手でしょう。

ジョイナー選手

joyner


ジョイナー選手はウィルマに継いで,1988年に、一つのオリンピックで三つの金メダルを獲得したアメリカ人女性選手となるのですが、ウィルマはジョイナー選手の活躍を喜んでいました。

ウィルマがいなかったら、ジョイナー選手や、今回のロンドンオリンピックで活躍した米国女性選手達もいなかったかもしれませんね。

ウィルマは1997年に”ウィルマ”という自伝を書いており、NBCが後にそれをテレビ映画化しています。