Beasts of the Southern Wild 素晴らしくて、形容詞が見つからない映画 | ぞうの みみこのブログ

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体調不良と仕事の忙しいのが重なり、ずいぶんとブログをおさぼりしてしまいました。もう7月。
今日は、この国のおっかさんの誕生日であります。(独立記念日よ♡)

先週、すごすぎる映画を友人に連れられて観に行ったので、記憶の新しいうちにご紹介したいと思います。日本では公開されているのでしょうか。

"Beasts of the Southern Wild"

監督はどっかのメディアで新参者として紹介されていた、Behn Zeitlin。
ルイジアナの川の、バスタブと呼ばれる三角州みたいな所にお父さんと二人で住む少女、ハッシュパピーが主人公。

見た目、日本で言う小学校中学年から高学年のような感じ。反抗期前で、まだ親とかには従順だけど、生や死など、抽象的な事も考え始める年代ですね。

(あ、でもある新聞には6歳と紹介されていました。映画では6歳の印象にはとても見えなかったのですが。)

”私は、大宇宙のひとかけら。広大な宇宙の中に無数のかけらが合って、ひとつ欠けても宇宙は完璧でなくなる、” みたいな彼女のモノローグとともに、映画ははじまります。

豚や鶏を飼って、半分自給自足のような生活をしている模様。

それらに餌などをやる作業の合間に、動物に耳を押し当ててそれらの気持ちを聞き取ろうとするハッシュパッピー小首をかしげた真剣な表情が印象的です。

ある日ストームがやって来て、避難命令が出るけれど、お父さんはハッシュパピーに絶対ここに居続ける、といって掘ったて小屋みたいな家に二人で閉じこもる。暴風雨の悪夢のような夜が去った後、

水で増水した川をボートで探検。同じく避難しなかった他の家族達と合流して、人気の無くなった三角州の町をさまよう人々。

そうこうしているうちに、一同は強制的に当局の避難所に入れられる。
最初の、貧しいけれど楽しそうなルイジアナの生活と、ゴースタウンと化した
川岸の模様や、仲良く暮らしているように見えて、ハッシュパピーの、ふつふつと浮き上がるお父さんへの怒りが、ばきばき音をたてて崩れさる巨大な氷壁の映像で象徴されたり、

もののけ姫を思わせる、巨大な野生イノシシの映像ががハッシュパピーのアルターエゴのように使用されたり、対照的な映像がとてもダイナミックで、強く、美しいです。

マンハッタンのウエストサイドのリンカーンプラザと言う所で見たのですが、
Sundance フィルムフェスティバルで初演されたあと、一般公開は始めてだったらしく、上演前に ”はーい、僕、ベンといいまーす。この映画の監督です。来てくれてありがとー” という監督直々のご挨拶がありました。

アメリカ人が見ると、場所設定が設定ですから、(ルイジアナ)どうしてもカトリーナの大惨事を生々しく思い起こしてしまうのでしょうが、描かれているテーマは、土地への愛着とか、生死、親への愛憎、そうして少女の成長過程などですから、かなりユニバーサルでもあります。

わたしとしては、上記に上げたように、どう見ても”もののけ姫”でみたイノシシとしか思えないキャラクターが出て来たり、
 自然とともに生きる少女の成長物語的なテーマを前に、(これもミヤザキ監督がよく扱うテーマですよね。)

”この監督って、ハヤオ・ミヤザキに影響受けてるんじゃ”と思ってしまいました。で、連れてってくれた友人のピーターに言うと、

”そーかもよー”という生返事が返ってきました。

大学でフィルム製作を専攻した彼もいたくこの作品を気に入っていて、褒めちぎり。いつも良い映画を紹介してくれるピーターには感謝しています。

(こっちでは7/20に公開される)バットマンはどう思う? と聞くと、期待できそうだね、と言っていました。(彼は監督のクリストファー・ノーランを評価している様子。)