【所在地】東京都武蔵村山市中藤
【竣工】1928(S3)年頃(?)
【延長】
【幅員】
【高さ】
2012年12月23日訪問
武蔵村山市にある野山北公園自転車道。昭和初期に村山、狭山両貯水池を建設するために敷設された軽便鉄道(通称・羽村山口軽便鉄道)の跡地を遊歩道に転用したものだ。残された6本の隧道のうち4本<横田トンネル(1号隧道)、赤堀トンネル(2号隧道)、御岳トンネル(3号隧道)、赤坂トンネル(4号隧道)>がこの自転車道に転用され、当ブログでも紹介してきた。現在地は現役4本の隧道中、最も東にある赤坂トンネル(4号隧道)を東に抜けた地点。前方の柵で自転車道はとりあえず終点となっているようだ。
さくの手前にサドルを盗まれた放置自転車が。哀れ・・・(ノД`)
おいらが安いけどハデ目のチャリを選ぶ理由のひとつに、目立つチャリなら盗まれにくいのではないかという思惑がある。泥棒の立場になって想像したら盗むならなるべくありふれたチャリがいいと思うからだ(^-^:
さて、終点の柵のところでやってきた。地図では三叉路だが、実際は十字路。さて、本線はどちら?
左をみると、藪の先からカサカサっという音がした。野鳥かタヌキか、、、それともただ単に枯葉が風に吹かれたのか。しかし、広葉樹の乾いた落ち葉が擦れる音は耳に心地よい。房総の竹や針葉樹の葉が踏みしめられるミシッ、パキッという音とは違う新鮮な感覚だ。
今度は右を見る。こちらは貯水池に沿って住宅地に復帰する歩道になっているようだ。
で、正面。旧線跡はこちらが正解。
ということで、そのまま真っ直ぐ進む。
広葉樹の枯葉をカサコソ踏みしめながら、、、
拍子抜けするぐらいにあっさりと目的の隧道が現れた。
この旧線跡は有名だしアクセスも容易なので、ネット上でも容易に姿を見ることができる。しかも突入を試みた先人も多かった。しかし、この先の村山貯水池は東京の水瓶のひとつ。断固、進入を阻止したい水道局と進入したい先人との闘いの歴史でこの坑口の封鎖される姿はいろいろと変化していた。ぶっちゃけ、運良く直近に訪問した先人がうまく進入ルートを用意してくれていることを期待していたのだが、、、(^-^;
完全封鎖!!!(^-^;
いや、違った、そうでもないようだ、、、
3秒ぐらい悩んだが、進入はやめておいた。写真ではわからないが、坑口の手前はぬかるみ気味だったし、内部は水没している様子。無理しても得るものは少ない。北側の坑口へのアプローチを考えた方が利口だと思ったのだが、、、
さて、戻ろう。
※ ※ ※
ネットの地図にもある北側の埼玉県道からの道の入口。厳重にガードされている。
しかも防犯カメラだって?(^-^; こりゃ、乗り越えたらお縄になっちゃいそう。無理無理(^-^;
途中、湖畔の歩道橋の下なども覗きながら進むも、有刺鉄線でしっかりガードされている。そこまでするかなぁ、と思いながら、最後に玉湖神社の手前で湖畔に降りる道を見つけて下ってみた。しかし、その先も無情にも有刺鉄線完備のゲートが、、、(;´Д`)
ただ、内緒の話、ここを乗り越えた先人もいるようだ。確かに、作業着と軍手ならなんとか、、、あ、独り言ね。おいらはヘタレだし(^-^;
ちなみに、ここは軽便鉄道の廃線跡のようだ。ここは
げっ、ここでウ●●するヤツがいるのΣ(゚д゚ll)ガーン 靴の裏をチェックしつつチャリに跨るオイラだった。
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