古谷経衡(ふるやつねひら)氏の石丸批判・考 | 加納有輝彦

古谷経衡(ふるやつねひら)氏の石丸批判・考

私は、主に、作家古谷経衡(ふるやつねひら)氏、フリーアナウンサーの古舘󠄁伊知郎氏を引用して、どちらかといえば、石丸現象をネガティブにとらえ投稿した。

 その投稿に関し、様々なコメントを頂戴した。

特に、
もっぱら一次情報(数年にわたる安芸高田市長時代の動画)でなく二次情報(古谷経衡氏、古舘󠄁伊知郎氏等)を引用して批判するのはフェアーではない。一次情報に接すれば、石丸氏の立志は本物であることが理解できると思う。

このようなコメントを頂戴し、確かに、私は、一次情報にはほとんど接していないことを自覚し、反省の意味も込めて一連の石丸現象を再考しました。

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皆さん、真摯な書き込み、ありがとうございます。

私は、Iさんが指摘された通り、ほとんど2次情報を野次馬根性でつまみ食いして印象を書きました。一次情報は、彼が安芸高田市長時代の動画を数本見た程度です。数年にわたる市長時代の彼の発信を見たわけではないので、2次情報をつまみ食いした事は私の反省です。

 特に、彼と同い年41歳の作家古谷経衡(ふるやつねひら)氏が、石丸現象を批判した動画が、私にはとても説得力がありました。

 



~今回の若者の石丸氏への支持は、決して「政治不信」でもなんでもない。知力の低下したマス(若者の群れ)の頽廃(たいはい)現象そのものだ。政策もなく、政治思想もなく、存在しているものは、YouTube(TikTok)動画における「再生回数」を増やす技術のみである。それらの空っぽの呼応関係(石丸氏⇔若い大衆)により大量得票となった。~

古谷氏の批判に共鳴した私を、よくよく振り返ってみると、石丸氏個人に対する批判というより、石丸現象を引用しながら開陳した古谷氏の批評、思想に共鳴していたのかなと思います。

古谷氏も、石丸現象を題材に、普段から古谷氏自身が問題視していた、読書をせず、YouTube動画ばかり見て、あるいはTikTok動画ばかり見て、2時間の映画さえ集中して見れなくなって、早送りして結論しか見ないような若者たち、そんな20分の集中力さえ失った動画世代に対して、まさしく石丸氏がミートし、大量得票を得た。

この事は、古谷氏から見れば、まさに「石丸伸二から感じる耐えがたい危うさ」「石丸伸二氏を支持した『意識高い系』の空っぽさ」というような論評になる。

しかし、これは石丸現象を引用して、古谷氏のもともとの問題意識を展開したともいえます。ゆえに、厳格には、「石丸現象から感じる耐えがたい危うさ」であろうし、「石丸現象に見る『意識高い系』の空っぽさ」であろうと思うのです。

 石丸氏が、古谷氏がある意味「軽蔑」する、現代若者一般の「耐え難い軽さ」に、あざとくミートした、その「あざとさ」を古谷氏は嫌悪した、そんなことかなと思ったりもしています。

 だから、石丸氏本人の「志」とは無関係に、それぞれの識者が、石丸現象(160万票)をそれぞれに解釈し、自らの論点を開陳した。そこには、石丸氏本人の本当のキャラの検証はなされていない。というか必要ない。重要なのは、自らの思想信条の発露であるから。

 たまたま石丸現象が、好都合な題材となった。

私も、大川総裁先生が、動画の再生回数等によりインフルエンサーとなった「流行り神」の邪心に気を付けよ、ユーチューバー全盛の時代に、「格はいく」を詠む自分を嗤う・・・(引用は不正確です)みたいな感じの発信をされておられ、どちらかといえば、現代の機能、動画全盛の時代に警告を発信しておられた印象から、私も、古谷氏の問題意識に共感したと思います。

 結論的にいいますと、石丸氏が、SNSを最大限有効に活用し、大量得票を獲得した、その現象(手段)、石丸現象そのものに対する好悪から、それぞれの識者がそれぞれの立脚点で普段から考えている問題意識を開陳した、そんなことであって、石丸氏の立志、本当の性格等々は、ある意味、無関係であった、そんなふうに言えるのかなと思います。

 蓮舫氏を応援した識者からは、
蓮舫氏は、正々堂々と街宣で政策を述べた。
小池氏は討論会から逃げて、そもそも街宣をほとんでしていない。
石丸氏は、街宣を多数こなしたが、政策はほとんど訴えていない。

政策をしっかり述べた選挙活動の王道を歩いた蓮舫氏が、両氏に敗けた。
 このような文脈から、現代の機能、SNSを有効活用した石丸氏に対して、恨み節が出るわけです。実際、石丸氏は、この暑いのに、長々と政策など述べても誰も聞いてないし、意味ない、街宣も一カ所、20分が限度と合理的に判断していたわけです。

結局、石丸批判に見られた事は、
石丸氏本人の本当の立志は、二の次。
彼がSNSを最大現利用し、大量得票を得た現象への「嫌悪」を、識者がそれぞれの立脚点で語ったということであったろうと思います。私も古谷に共感したということは、同じような問題意識を普段から持っていたということでしょうし。

石丸氏への批判から見えるものは、石丸氏ではなく、その批判をした識者の「思想信条」が見えてくるということだと思います。

 ただ、石丸構文としてバッシングされた点は、思想信条というより、インタビューのルールを石丸氏が理解していない点もあったと思います。

 例えば、NHK,共同通信、朝日新聞と順番に質問するとして、それぞれの立場で、同じ質問が出る可能性があります。質問がかぶることがあります。ルール的には、同じ質問をされても、丁寧にそれぞれの記者に答える必要があります。 
 それを「同じ事を質問するんですか。さっき言ったと思いますが。」みたいな返答は、その通りなのですが、一応、ルールとしては、面倒だが同じ質問にも同じように答える必要があります。
 
 まあ、このあたり、やや石丸氏も意固地になっていたのかなと思う点はあります。

お互い、テレビの視聴率があげればいいし、SNSの再生回数が増えればいいし、お互いさま、狐と狸の化かし合いではありますが。

 石丸氏は、そのあたりも自覚していて、記者会見時はすごく冷めた表情が多かったですね。

惜しむらくは、政治家としての「熱い人情」を「情」をもう少し見せてくれてもよかったのかな。テレビはあえてそういった表情はカットしたのかもしれませんが。

最後に、石丸氏の心情として、与えられた任務に対しては、最善を尽くす。しかし、その結果に関しては、自分の責任の及ばざるところ、執着してもどうしようもないと、諦観を表明している。ここのところが、「タフ」に見えることもありますが、今回の一連のバッシングの中で、「冷たい」と捉えられた向きが強い。居眠り議員の死去の問題など。

間接責任を負うといっても、実際は、政治家として負いきれないことは多い。その点、石丸氏は、正直なんでしょうけど、間接責任も負いますという「人情」は見せて欲しいなと思います。

 結局は、それぞれの識者は、石丸批判において、石丸氏を客観的に語ったというより、自分の思想を語ったということであったろうと思います。私も含めて。



 

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