ホワイト石丸 ブラック石丸
ホワイト石丸 ブラック石丸
まだまだ続く石丸論
石丸氏は「流行り神」となった。
テレビからネット、バライティーから報道番組に至るまで、出演する芸能人、ニュース解説者等々、皆さん、総「石丸評論家」の様相を呈している。大ざっぱにいえば、石丸氏は、さながら「電波ジャック」に成功しているのかもしれない。
私も物好きな性格ゆえ、いろんな識者の「石丸論」を興味深く拝聴している。
ちょっと面白かったのは、古舘伊知郎氏の独自の理論。
彼は、ホワイト石丸と、ブラック石丸を、戦略的に演出し使い分けているというもの。
つまり、インタビューや会見などではブラック石丸を演じ、わざと炎上させてマスコミの耳目を引く。
「石丸は生意気だ。好かん。」
一方、時にホワイト石丸を演じ、「石丸さんて、なんだいい人じゃん。」と印象付ける。
ブラックとホワイトを交互に演出する。
ブラック石丸は、かねてからこう言っていた。
「燃やせるものは全部燃やす。」これは炎上商法の流儀である。燃やせるものは全部燃やし、「炎上」させ、耳目を引く。つまりYouTube動画の再生回数を増やす。
政策なんかで政治家を選ぶ奴なんて一人もいない。すべてイメージで決まると都知事選に臨んでいる。
イメージと知名度が全て。
そして、ティックトック世代は、20分が限界。それ以上は集中できない。政策なんて生真面目に語れば逆効果、その変わり「論破」した印象を徹底的に植え付ける。「石丸さん、かっこいい、論破している。」
さて、侃々諤々の石丸論を横目に、昨日、私は幸福の科学の「地球を包む愛」セミナーに参加した。
その中で、3万年前富士山ろくに降臨した天御祖神(あめのみおやがみ)の男性論を学んだ。
曰く
「自分のみの欲得や利益のために姑息に生きるのではなくて、多くの人々を活かすために体を張り命を張り、そして、嘘や偽りは述べず、人を騙すことなく、正々堂々と生きよ。」
これが天御祖神が、男性に説いた教えだったという。
おそらく動画の再生回数を増やすために、体を張って、ホワイトとブラックを使い分け目をくらましているとすれば、石丸氏に、少なくとも「正々堂々と論陣」を張っている姿は見えない。トリッキーである。
ホワイトとブラックの仮面を使い分けているとすれば、なるほど、石丸氏の風貌に表情が乏しいマスクを見る理由が分かるような気もする。
彼の政治的理想を実現するためには、手段としてトリッキーであることを彼自身が許容しているのかもしれない。
が、大川隆法総裁先生(天御祖神)におかれましては、手段においても姑息な手段は一切使われない。常に、常に、正々堂々の陣である。
政治活動においても、大学認可においても、常に、正々堂々の押し相撲、正面突破であられた。
嘘は微塵も存在しない。仮面は一切ないのである。
石丸氏に実現すべき政治的理想があるのなら、いや、あるのだろう、さすれば、天御祖神の教えを学んで頂きたいものだ。
仮面をはずし、相撲取り力士のように包み隠さず裸になって、「自分のみの欲得や利益のために姑息に生きるのではなくて、多くの人々を活かすために体を張り命を張り、そして、嘘や偽りは述べず、人を騙すことなく、正々堂々と生きよ。」
流行り神、石丸氏へのアドバイスのつもりが、私自身への戒めとなった。