小里城山(おりじょうやま)城址 | 尾張・美濃 城址探訪

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岐阜県瑞浪市稲津町にある山城で小里出羽守光忠によって築かれたと云われるが定かではないらしいです。
県道20号線沿いに小里城の看板がある。登山口の向かいに専用の駐車場が完備されています。(駐車場は無いと聞いていましたが)登山道入り口駐車場

小里氏r大手門址
小里城は小里川の西岸にある山塊の北東端の標高403mの城山山頂に築かれています。登山道を登っていくとまもなく「大手門」にたどり着きます。大手門をなかに入ると、広い曲輪が広がっていて、そこは御殿場跡で、平常時は城主はここで生活し、戦になると、山頂の小里山城にて迎え撃つことで対応するようになっていたそうです。
小里城大手門曲輪小里城御殿場跡石碑
さて、ここからが実は思ったよりきつい登山となるのでした。
山頂は標高407mで登山口がだいたい標高100mぐらいで、標高差300mを舐めてかかったらいけません!
結構きつい丸太階段を登り、だいぶ上がってきたな、そろそろ山頂かな?と思ったら、あと200mという案内板・・・・
小里城登山道1小里城登山道2
途中、ほととぎすの鳴き声を聞きながら、お茶をガブガブの見ながら、そしてやっとのことで、山頂近くに上ってくると二の曲輪と、曲輪を支える石垣あとが見えてきました。
小里二の曲輪石垣小里二の曲輪
そしてやっと山頂に到着。
山頂には天守代の石垣が残っています。山頂でおにぎりをほおばり、最近きになる若い女性のことを妄想し、(二人でこの地に来て、景色を見ながら、お弁当を食べて楽しい休日を過ごす・・・・・)しばし休憩
小里山頂景色小里城天守土台石垣
1572年に、甲斐の武田軍が美濃に侵攻し、岩村城を落とすと、明智城主の遠山景行とともに小里光忠と光次父子は織田方として戦いましたが討死しました。
武田軍が、明智城を包囲すると、織田信長が出向いたが、間に合わず落城。信長は小里城の池田恒興を城番として城の改修を行ったが、織田信忠が、、岩村城の奪還に成功したため、改修工事は途中で中止となりました。

いつもNAVI小里城山城址(地図)


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