こころ禅…365日『一🍓一🖼️』日めくり言葉 R24. 8―2
ほりさんの笑顔の『一期一会』
【人生は一生に一度の出会い…大切にしよう】を感じ、思いをお届けします。
《心に響く…禅のことば》
【美しい四季の香り…『一🍓一🖼』禅】
禅は“こころ”です
🪷瀧直下☆*〜🧘♀☆*〜🪷三千丈☆*〜
『瀧直下三千丈』
(たき ちょっか さんぜんじょう)
【水が巨大な瀧となり勢いよく真下(ました)に流れ落ちる距離は、三千丈もある】
それは、ひょっとしたら、天の川が高い大空から落ちて来たのではあるまいか、
と云う意味になります~
雄壮な瀧は涼しさを伝えながら生命の源である力強く勇ましい姿でもあると云うことです~
🪷瀧直下☆*〜🧘♂☆*〜🪷三千丈☆*〜
一滴の雨水(あまみず)が沢から川になり、自ら形無くとも、どのような形にも順応し、低きについても先を争わず流れて行きます。
時にはすべての生き物をも呑み込む凄まじい力となって、岩石も砕くエネルギーとなると云うことですが、ただの禅語では無いようです。
🪷瀧直下☆*〜🧘☆*〜🪷三千丈☆*〜
古来、滝壺には瀧(たき)の神、もしくは水神の住むところと考えられて来ました。
そのため、神聖視されて、しばしば不動明王や弁才天が祭られています。
また滝に打たれると霊力が身につくとされ、修行僧が滝に打たれて修行する姿をテレビや写真で見かけると思います。
瀧にはこういう神秘性が備わっているのですネェ。
涼しさを強調し語呂を合わせたもので夏の涼しさを呼ぶ一句です。
🪷瀧直下☆*〜🧘♀☆*〜🪷三千丈☆*〜
【遥か彼方に、大きな瀑布(ばくふ)が真下の川になだれ落ちるのが見える…
もしや、“遥か天の彼方から”天の川が落ちて来たのではと、驚かされるほど】
雄大な自然の中の素晴らしい情景に出会った感動が感じられる「李白」の詩です。
「…三千丈」と書かれていますが、原点の李白の詩には、「廬山(りょざん)の瀑布を望む」という詩では「…三千尺(じゃく)」となっています。
🪷瀧直下☆*〜🧘♂☆*〜🪷三千丈☆*〜
《直下》は、真っ直ぐに落ちること。
《三千丈》は、一丈が約3mなので、約9kmの長さです。有り得ません。
「とてつもない高さ」を表現したものなので「遥か天の彼方から」と言うように訳しました。
『廬山(ろざん)の瀑布を望む』李白
「日は香炉を照らして紫煙を生ず
遥かに看(み)る
瀑布の前川に掛かれるを
飛流
直下
三千尺
疑うらくは是(こ)れ
銀河の九天より落つる」
♢〔現代語訳〕♢
【西の山・香炉峰(こうろほう)に日が差し、紫色のモヤが立ち昇る
遥か彼方に
大きな瀑布が真下の川になだれ落ちるのが見える
飛ぶが如く
流れは真っ直ぐ落下すること
三千尺(9000m)
もしや天の彼方から
天の川が落ちて来たのではと驚かされるほどだ】
という意味になります。
🪷瀧直下☆*〜🧘☆*〜🪷三千丈☆*〜
「瀧」(たき)の文字は氵(さんずい=水)に龍です。
龍(りゅう)は雲を呼び雨を降らせます。
その龍に氵(さんずい=水)が加わるときに壮大な瀑布となり、それを瀧としたのです。
滝の落ちる轟(とどろき)音と共に水しぶきが飛んで来ます。
“余計な雑念や感情を、すべて洗い流してくれる”ことを表しています。
🪷瀧直下☆*〜🧘♀☆*〜🪷三千丈☆*〜
✨あなたも🙏ほりさんも…
三千丈(尺)の様に、大きく広い心を持って、滝に打たれて心を洗い流し清めて見ては如何でしょうか⁉️。
禅は“こころ”です
🪷一🍓一🖼☆*~🧘♀🪷一期一会☆*~
私たちの人生は、一生のうち、どれだけの出会いを経験するでしょうか⁉️。
人生を変えるような大きな出会いも、勿論(もちろん)あるでしょう。
でも、ほとんどが意識すること無く、小さな出会いで終わってしまうことでしょう。
朝のウオーキングで出会って挨拶する人…
犬の散歩で時々会って挨拶する人…
知人を介して一度だけ話した人…
いつも同じ通勤電車やバスで乗り合わせる人……
顔を知ってる程度で、ほとんど意識することもない関わりも有ります。
そして、こうした出会いも「一期一会」です。
🪷一🍓一🖼☆*〜🧘♂🪷一期一会☆*〜
《一期》(いちご)とは…
人間の一生です。
《一会》(いちえ)とは…
ただ一度の出会いを云います。
元々は茶会の心得を説いた言葉です。
現代は、人と人の出逢いについて広く使われています。
【そもそも茶の湯の交会(こうえ)は、一期一会といひて、たとへば幾たび同じ主客と交会するとも、今日の会は再び帰らざることを思へば、実にわれ一世一度の会なり】
井伊直弼「茶湯一会集」より
茶会に臨むときは、それが一生にたった一度の機会と心得、亭主・客ともに互いに誠意を尽くしなさいと説いています。
🪷一🍓一🖼☆*~🧘🪷一期一会☆*~
出会いは一生にただ一度きり、だから儚(はかな)いものだと言うのではなく、「ただ一度しかない出会いだからこそ、今という時の巡り合ったご縁を大切にしよう」
それが「一期一会の心」です。
毎日のように顔をつき合わせる家族や、友人、同僚などの会話も、私たちは当たり前のようにしています。
でも、今日と同じ日は二度と来ません。
お互いに「おはよう」と交わす言葉もその瞬間は「一期一会」です。
今日✨あなたは誰に、どんな風に挨拶しましたか⁉️。
禅は“こころ”ですョ
🪷一🍓一🖼☆*~🧘♀🪷一期一会☆*~
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240802/03/papa2488/f2/9b/j/o0731108015470021137.jpg?caw=800)
ほりさんの笑顔の『一期一会』
【人生は一生に一度の出会い…大切にしよう】を感じ、思いをお届けします。
《心に響く…禅のことば》
【美しい四季の香り…『一🍓一🖼』禅】
禅は“こころ”です
🪷瀧直下☆*〜🧘♀☆*〜🪷三千丈☆*〜
『瀧直下三千丈』
(たき ちょっか さんぜんじょう)
【水が巨大な瀧となり勢いよく真下(ました)に流れ落ちる距離は、三千丈もある】
それは、ひょっとしたら、天の川が高い大空から落ちて来たのではあるまいか、
と云う意味になります~
雄壮な瀧は涼しさを伝えながら生命の源である力強く勇ましい姿でもあると云うことです~
🪷瀧直下☆*〜🧘♂☆*〜🪷三千丈☆*〜
一滴の雨水(あまみず)が沢から川になり、自ら形無くとも、どのような形にも順応し、低きについても先を争わず流れて行きます。
時にはすべての生き物をも呑み込む凄まじい力となって、岩石も砕くエネルギーとなると云うことですが、ただの禅語では無いようです。
🪷瀧直下☆*〜🧘☆*〜🪷三千丈☆*〜
古来、滝壺には瀧(たき)の神、もしくは水神の住むところと考えられて来ました。
そのため、神聖視されて、しばしば不動明王や弁才天が祭られています。
また滝に打たれると霊力が身につくとされ、修行僧が滝に打たれて修行する姿をテレビや写真で見かけると思います。
瀧にはこういう神秘性が備わっているのですネェ。
涼しさを強調し語呂を合わせたもので夏の涼しさを呼ぶ一句です。
🪷瀧直下☆*〜🧘♀☆*〜🪷三千丈☆*〜
【遥か彼方に、大きな瀑布(ばくふ)が真下の川になだれ落ちるのが見える…
もしや、“遥か天の彼方から”天の川が落ちて来たのではと、驚かされるほど】
雄大な自然の中の素晴らしい情景に出会った感動が感じられる「李白」の詩です。
「…三千丈」と書かれていますが、原点の李白の詩には、「廬山(りょざん)の瀑布を望む」という詩では「…三千尺(じゃく)」となっています。
🪷瀧直下☆*〜🧘♂☆*〜🪷三千丈☆*〜
《直下》は、真っ直ぐに落ちること。
《三千丈》は、一丈が約3mなので、約9kmの長さです。有り得ません。
「とてつもない高さ」を表現したものなので「遥か天の彼方から」と言うように訳しました。
『廬山(ろざん)の瀑布を望む』李白
「日は香炉を照らして紫煙を生ず
遥かに看(み)る
瀑布の前川に掛かれるを
飛流
直下
三千尺
疑うらくは是(こ)れ
銀河の九天より落つる」
♢〔現代語訳〕♢
【西の山・香炉峰(こうろほう)に日が差し、紫色のモヤが立ち昇る
遥か彼方に
大きな瀑布が真下の川になだれ落ちるのが見える
飛ぶが如く
流れは真っ直ぐ落下すること
三千尺(9000m)
もしや天の彼方から
天の川が落ちて来たのではと驚かされるほどだ】
という意味になります。
🪷瀧直下☆*〜🧘☆*〜🪷三千丈☆*〜
「瀧」(たき)の文字は氵(さんずい=水)に龍です。
龍(りゅう)は雲を呼び雨を降らせます。
その龍に氵(さんずい=水)が加わるときに壮大な瀑布となり、それを瀧としたのです。
滝の落ちる轟(とどろき)音と共に水しぶきが飛んで来ます。
“余計な雑念や感情を、すべて洗い流してくれる”ことを表しています。
🪷瀧直下☆*〜🧘♀☆*〜🪷三千丈☆*〜
✨あなたも🙏ほりさんも…
三千丈(尺)の様に、大きく広い心を持って、滝に打たれて心を洗い流し清めて見ては如何でしょうか⁉️。
禅は“こころ”です
🪷一🍓一🖼☆*~🧘♀🪷一期一会☆*~
私たちの人生は、一生のうち、どれだけの出会いを経験するでしょうか⁉️。
人生を変えるような大きな出会いも、勿論(もちろん)あるでしょう。
でも、ほとんどが意識すること無く、小さな出会いで終わってしまうことでしょう。
朝のウオーキングで出会って挨拶する人…
犬の散歩で時々会って挨拶する人…
知人を介して一度だけ話した人…
いつも同じ通勤電車やバスで乗り合わせる人……
顔を知ってる程度で、ほとんど意識することもない関わりも有ります。
そして、こうした出会いも「一期一会」です。
🪷一🍓一🖼☆*〜🧘♂🪷一期一会☆*〜
《一期》(いちご)とは…
人間の一生です。
《一会》(いちえ)とは…
ただ一度の出会いを云います。
元々は茶会の心得を説いた言葉です。
現代は、人と人の出逢いについて広く使われています。
【そもそも茶の湯の交会(こうえ)は、一期一会といひて、たとへば幾たび同じ主客と交会するとも、今日の会は再び帰らざることを思へば、実にわれ一世一度の会なり】
井伊直弼「茶湯一会集」より
茶会に臨むときは、それが一生にたった一度の機会と心得、亭主・客ともに互いに誠意を尽くしなさいと説いています。
🪷一🍓一🖼☆*~🧘🪷一期一会☆*~
出会いは一生にただ一度きり、だから儚(はかな)いものだと言うのではなく、「ただ一度しかない出会いだからこそ、今という時の巡り合ったご縁を大切にしよう」
それが「一期一会の心」です。
毎日のように顔をつき合わせる家族や、友人、同僚などの会話も、私たちは当たり前のようにしています。
でも、今日と同じ日は二度と来ません。
お互いに「おはよう」と交わす言葉もその瞬間は「一期一会」です。
今日✨あなたは誰に、どんな風に挨拶しましたか⁉️。
禅は“こころ”ですョ
🪷一🍓一🖼☆*~🧘♀🪷一期一会☆*~
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240802/03/papa2488/f2/9b/j/o0731108015470021137.jpg?caw=800)